「サのヨイヨイ」
英国37年ぶりに自動車輸出国に(ロイター 2012年12月6日)
英国の自動車輸出額が37年ぶりに輸入額を超えそうとのこと。
レンジローバー・イヴォーク
私は、今の日本は70年代の英国だと感じています。
いち早く産業革命を起こした国の産業が、いち早く古くなってしまい石炭も、鉄鋼も、自動車産業さえ国有化になってしまった英国と、110年遅れで産業革命を起こし、戦後の焼け野原から90年までに“JAPAN as No1”とまで言われ、今はアジアに追い越され、急激に戦後の成長を支えた産業が無くなりつつある日本とが重なって見えます。
79年に首相になったサッチャーは、国有企業の民営化を断行しました。
79年に、ホンダが国有のBL(ブリティッシュ・レイランド 現在のローバー)に資本参加しています。
この提携で、BLがシビックを生産することになました。
当時の私は、三井金属で自動車用のドアロックを設計していました。
シビックのドアロックは私の設計でした。
三井金属はBLシビック向けのドアロックを、技術提携していた
「ロックウェル・インターナショナルUK」で委託生産をしてもらうことになりました。
1982年の英国は
1982年、私は英国バーミンガム市にあるロックウェルUKまでドアロックの技術指導に行きました。3週間くらいだったと思います。32歳でした。
ロックウェル・インターナショナルはアメリカのコングロマリットです。
そのUKは、もともとはウィルモット・ブリーデンという会社でしたが、
これも80年にロックウェル・インターナショナルに買収されたのです。
ブリーデンはグローバル企業で世界3万人くらい従業員がいました。
本国の英国だけでも5000人ほどいたと思います。
そのブリーデンが、買収され、解体され、私がバーミンガムに行ったときには、300人くらいの会社になっていました。
ブリ-デンと三井は20年以上提携していましたので、私は小さくなったロックウェルUKの社長、元ブリーデンの役員だったスチュワート・アンダーソン氏とは旧知の間柄でした。彼は、60歳くらいのスコットランド人で、毎朝、バグパイプ音楽を
大音量で流しながらジャガーに乗って私のホテルまで迎えにきてくれました。
朝の車の中で、毎日、古き良き時代の(とはいっても当事の3年ほど前までですが)
ブリーデンの話をしてくれました。
「ミスター山田、ブリーデンの頃は良かったヨ。役員会議は毎月パリの子会社に夫婦同伴で行くんだよ。何故、夫婦同伴か分かるかい?それは、ディナーの後で、ワインを飲みすぎた旦那を、ホテルの部屋まで奥さんに運んでもらうためだよ。アッハハ」
「ロックウェルの連中が来るまで、ブリーデンは、バーミンガムだけで4つもサッカーコートを持っていたのに、奴らはそれを全部売り払ったんだよ、信じられるか?」
「奴らが来てから、ランチにワインを飲んじゃいけないんだよ。ランチタイムも1時間。奴らが来る前は、たっぷり2時間はかけてたのに・・」(8時から4時が定時なのに・・・)
当事の私のお昼は、大崎工場の2階の食堂で、配達されてくる2段重ねのお弁当でした。給料天引きで、日に220円くらいでした。
お昼休みは45分でしたが、10分で食べて、残りの35分はカラーボールとプラスチックバットで野球をするのが楽しみでした。
朝のアンダーセン社長の昔話は華やかでしたが、昼間に私の面倒を見てくれる設計部長ジェボン氏は、毎日、お昼ご飯を食べません。
「昔から1日2食だから」と言いながら、リンゴを1個かじっていました。
部長なのにシャツの袖口が擦り切れていました。
私が、初めて見た82年の英国は、
「昔は良かったが、今は暗くて貧乏」という印象でした。
BLの従業員は30万人ほどだった思います。それで生産台数は50万台。
当事のホンダの狭山工場は、3万人ほどで50万台。生産性が10倍悪かった。
「ミスター山田、つい2~3年前まで、電車に釜焚員が乗っていたんだよ」
「釜焚員?」
「そう、蒸気機関車の釜に石炭を入れる人だよ」
「でも、電車に釜はないじゃないですか」
「釜焚員組合が強いから、電車になっても、1台の電車に1人の釜焚員が、
ずっと乗っていたんだよ」
「その釜焚員は何をするんですか?」
「何もしない」
蒸気機関で産業革命を起こした国が、
200年経った1979年まで電車に釜焚員を乗せていたのです。
「それで国有化?それじゃあ駄目だよ」と思いました。
英国から遅れること110年で産業革命を始めた日本から、本家の英国に技術指導に来た私は1750年に始まった産業革命の行き着く先を見た気がしました。
まるで輪廻のように
今年、シャープが、鴻海精密工業に10%を出資してもらうかもらわないかで
大騒ぎをしているのを見て、
20%の資本提携で英国の名門ローバーを支配していたホンダを思い出します。
ホンダがローバーと資本提携した目的は、高級車の作り方を学ぶためでした。
当事のホンダの最高級車はアコードでした。
ホンダは、皮のシート、木のパネルなどを作る技術はなく、
高級感とは何かがわかりませんでした。
それで、レジェンドとローバー800という姉妹車を日英で共同開発することで、
高級車の作り方の技術を吸収したのです。
レジェンドに使う木を選ぶために秋田の森に行き、
木こりの人から「どの木を切りますか?」と樹齢100年の木を見せられたとき、
初めて自動車設計者が木の選び方を知らないということがわかったそうです。
滅び行く産業から、まだまだ学ぶことがあったのです。
こうして高級車レジェンドが世に出たのは1985年です。
私は、ドアロックの技術を教えにブリーデンに行きましたが、
ホンダは高級車の技術を習うためにローバーに行ったのです。
シャープは、GEが87年にテレビ事業を撤退したようにテレビ事業から撤退します。
英国のローバーのように、なりふりかまわず人を切っています。
その滅びそうなシャープから、鴻海は、ホンダと同じように、
最終製品の作り方を学びたいのです。
まるで輪廻のように。
すでに11万人に達しています。新聞に載った大企業だけの人数です。
産業革命を起こした英国から80年代に機械産業が消えたように、
テレビを発明した米国でGEのテレビ事業撤退(87年)から10年で
家電産業が消えたように、今、日本から、
まず家電産業から消えようとしているように思います。
袖口が擦り切れたシャツを着て、1日の食事を2回にして、
300人の中に生き残ったジェボン部長。
3年間でいなくなった、顔も知らない4700人の元ブリーデンの従業員。
30年経った今、同じことが日本に起きているように感じます。
ローバーは車を売っているのではない
英国は、サッチャーの断行から20年経った2000年には失業率は3%代にまでに回復しています。
それは、古い産業を捨て、金融にシフトしたからだと言われています。
日本も、一度その経験をしないと次のバージョンに上がっていけないのでしょうか?
「イギリス発の人気小型SUV、レンジローバー・イヴォーク。
世界中で人気を呼んで納車は半年待ち、24時間操業でも生産が追いつきません。
イヴォークを生産するイギリスの高級車メーカー、ジャガー・ランドローバーでは、輸出が好調なため、従業員を1000人増やしたといいます。」(ワールドサテライト)
24時間操業している自動車メーカーは日本にはありません。
日本は16時間操業です。
英国の輸出の原動力は、技術を吸い取られてホンダから捨てられた後、
BMWに買収され、MINIだけ切り離して、
1ポンドで英国に売り返されたランドローバー社(元BL)だそうです。
YouTube: OneLife - Range Rover Evoque Design Philosophy with Gerry McGovern
2012年1月 オバマ大統領の一般教書演説
「持続的な経済成長に必要な「青写真は米製造業から始まる」と指摘。
米製造業の復活を雇用増につなげる」考えを強調。
2012年10月6日 レノボ、米国に新しいパソコン生産ライン建設へ
レノボが米国のノースカロライナ州に新しいパソコン生産ラインを建設する。
2012年12月6日 英国37年ぶりに自動車出輸国に(ロイター)
2012年12月7日 アップル、2013年に米国内で製造へ(NBC)
Mac製品ラインの1つを米国内でのみで製造することになることを明らかにした。
「コストはあまり関係がない。問題なのはスキルだ。
製造に伴うスキルが次第に米国から他国へ流れていった。
家電産業の実体はアメリカにはない。
(すなわち)製造を“戻す”のではなく、“始める”ことが重要だ」
フィアットは、10億ユーロを投じて、2014年から国内の遊休工場を活用して、
輸出向けにジープやフィアット500などを生産する(ロイター)
こうしてみると、オバマ大統領の一般教書演説から始まり、
昨年の最後のトレンドは先進国での製造業の始まりです。
でも、日本は、こぞって「グローバル化だ。アジアに行こう!」
と言っています。世界とは行く方向が違っているように見えます。
だから出口が見えないのかも知れません。
どっちへ行けばよいのでしょうか?
イヴォークのプロモーションを見ると、79年にホンダが習いたかった高級感とは
違う何か別の価値を持っているのかもしれないと感じます。
世界と日本の製造業の方向性が違うのは、日本が「モノの価値」が
変わりつつあることを見抜ききれていないのではないかと思い始めました。
「月が出た出―た 出―た 三池炭鉱の上に出-た」で「炭坑節」は始まります。
私が40歳まで勤めた三井金属の前進は、その三池炭鉱の三井鉱山です。
石炭で産業革命が起こり、釜焚員が要らなくなり、石炭産業は閉山でなくなりした。
ヨイトマケのようにサのヨイヨイ
今、多くの日本産業が、まるで石炭産業のように閉山の危機に
直面していると感じています。
でも、これは本当に危機でしょうか?
オバマ大統領は「米製造業の復活を雇用増につなげる」と言い切り、
あのアップルも米国で“製造業”を始めると言っており、
英国の自動車産業は24時間操業なのに...
本当に、日本から製造業をなくしてイイのでしょうか?
かつての英国のような痛みは瞬間で終わらせて、なんとか
今年の英国のように、もう一度輸出国になる手立てはないのでしょうか?
「サのヨイヨイ」とは炭坑節の最後の合いの手です。
先日、ある会合で、久々に60人ほどで輪になって炭坑節を踊りました。
私も輪の中で踊りながら、きっと、日本人は、戦後の復興の苦しさを
「サのヨイヨイ」と明るく歌って乗り越えてきたのだと感じました。
2013年は、日本にとって、戦後で最も大切な年になるでしょう。
「サのヨイヨイ」と歌いながら、日本人が再び興隆に向かうためには、
どうすれば良いかを考えていきたいと思って、このブログを始めます。
どうぞよろしくお願いいたします。