2013 年にむけて
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
ご存知の方もいらっしゃいますが、自分のリフレッシュの方法の一つに「映画鑑賞」があります。自宅近辺でかつレイトショウでみることが多く、気に入ったものは iTunes Store で公開されたときに「購入」しています。
さて、昨日は、クリストファー・ノーラン監督『ダークナイト トリロジー』3本を連続でみました。「ダークナイト・ライジング」は、前作「ダークナイト」よりも評価が低いといわれていますが、連続してみるとそのようなことはなかったように思えます。
「ダークナイト」ではコインの裏表といってもよい「ジョーカー」をひきあいに、主人公の一種の狂気 (より強い力による暴力の除去が新しい暴力を産んでしまうという意味で) をうまく表現していたと思います。反面、「ダークナイト・ライジング」では人間の弱さとそこからはいあがる姿 (希望) を表現していたと思っています。
主人公達は、次世代のエネルギーとして核融合炉を開発していましたが、様々な経緯により爆弾として使われようとしています。ベインの挑発により発生した無秩序な暴動。これは、爆弾への恐怖だけでなく、生活に対する不安、富める者への不満が爆発した形でなのでしょう。今の世の中も一歩間違えれば同じことが発生しても不思議ではありません。
この恐怖や不安に対する姿を、主人公が牢獄から命綱無しで壁をよじ登っていくことでみせています。この牢獄からの脱出の流れの中で「恐怖を感じること」が強調されています。普通、不安や恐怖があったら、別の形で爆発したりと一種の逃避をすると思います。これをあえて正面から向かっていくことが、新しい希望につながるということなのだと思います。
今年はどんな年になるかはわかりません。ですが、身の回りの様々な不安に対し、逃避することなく向かっていこうという気持ちになりました。