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企業ITの都市計画的デザイン ~ 被災日が「防災の日」になった日の東京に学ぶ

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 今朝の通勤の途上、品川駅港南口前で防災マニュアル保存版という冊子が配られているのを見ました。今日9月1日は「防災の日」ですね。これが記念日として制定される背景には関東大震災から復興していく東京の姿があります。今日は、そこから学べる企業ITの都市計画的デザインを紹介します。

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  今日の東京の姿は、1923年の帝都復興計画に始まり1964年の東京オリンピックで完成したといわれています。帝都復興計画というのは、1923年9月1日の関東大震災の直後に当時の内務大臣後藤新平によって打ち出された東京の都市計画です。揺れによる被害よりも火災の被害が大きかったといわれる関東大震災からの復興では、火の手が広がりづらい街を実現するために、道路の幅を広げること、大きい公園を配置すること、小学校などの公共施設を鉄筋コンクリート造りにすることなどの改革が実行されました。

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 『都市計画は道の整備から』と思わせてくれる1枚の絵を、内閣府のホームページから見つけました。復興後の東京の姿が描かれた青写真で、新たに整備される太く直線的な幹線道路が記されています。これが帝都復興院で協議されたのは1923年10月18日とのことですから、地震発生から50日も経っていない時点で、しかもパソコンもない時代に、このよう分かりやすく全体像を俯瞰的に把握できるものをよく作れたものだ!と、初めて見たとき感動しました。

 それはさておき、近代的な舗装を施した道幅の広い幹線道路の整備は、被災時には火災が広がるのを防ぐだけでなく避難路となり、平常時には人の行き来を活発にする経済効果があります。また、もしかしたら多くの建物が被害を受けてしまったこのタイミングでしか道の再整備は実現できなかったかもしれません。これが世界最大の復興計画ともいわれる帝都復興計画 ― 今日の東京の起点となる都市計画です。

 さて、今回お話したいのは帝都復興計画の話ではなくて、帝都復興計画に学ぶ企業ITの都市計画的デザインの話です。"企業ITの都市計画的デザイン"という言葉は聞き慣れないかもしれませんが、企業の情報システムの全体像のデザインのことです。個々の情報システムを建築物と見立てたとき、それらの集合体である企業全体を一つの都市と見立てることができるため、そのように呼んでいます。(企業ITの都市計画的デザインについては別の投稿でも説明しているので、ご覧ください。)

企業ITも『都市計画は道の整備から』

 きっかけとなるタイミングがあって帝都復興計画という全体デザインの大掛かりな見直しが実施されたのと同様に、企業ITにも見直されやすいタイミングがあります。基幹システム再構築とか、ERP刷新とかといった、いわゆる大モノ情報システムを作り直すタイミングです。そのとき何が起こるのか、下図を参照しながら見ていきます。製造業が持つ情報システム群をイメージした情報システム関連図です。四角が情報システムを表わしていて、矢印が各情報システム間のデータ連携を表わしています。データ連携とは、矢印の方向にデータが流れていく、いわば道です。現状のデータ連携は、ちょっと複雑になっていて分かりづらいですね。

連携図p1.png

 この企業では、受注・出荷管理・在庫管理・債権管理の4つの情報システムの更改に際して、ERPパッケージ(図中の薄紫で色付けた部分)の導入を考えています。新しい情報システムを導入することで、不要になるデータ連携を赤矢印で、作り直す必要があるデータ連携を青矢印で色分けしました。ERPパッケージ導入のタイミングで多くのデータ連携 ― 道に影響が出ることになりそうですが、むしろこのタイミングでこそ幹線道路を整備することができそうです。

このようなケースにおいて、最も効果的に道を整備する方法として、データ連携基盤といわれるミドルウェアの活用が考えられます。このミドルウェアはIT特有のアルファベット3文字表記だと、

EAI (Enterprise Application Integration)
ESB (Enterprise Service Bus)
ETL  (Extract Transform Load)

など、様々な名称で呼ばれます。それぞれ正確に見れば指し示す範囲の異なるものなのですが、だいたい似たようなものと考えても差し支えないです。

東京編_連携図2.png 作り直すデータ連携の数が多ければ多いほど、この手のミドルウェアは大きな力を発揮します。1つのデータ連携を作る工数は、ミドルウェアを使う場合は使わない場合と比べて半分くらいになります。ミドルウェアの機能は単純で、様々なパッケージやデータベースやプロトコルでの接続をサポートするアダプタといわれるものを持っていて、それらをGUIで設定できるというものです。データ連携において異常系ハンドリングは、検討も設計もコーディングも面倒になりやすいのですが、こういったものも実装しやすくなります。

 そして、ミドルウェアを使って整備した新しい情報システムの全体像が下図です。ミドルウェアは新しい都市の幹線道路といえます。ミドルウェアを介して、それぞれの情報システムがつながっている状態となります。データ連携(道)がスッキリしてきたと思います。ミドルウェアには上述のコスト削減効果やデータ連携(道)がスッキリする効果以外にも様々なメリットがあるので、いつかそれも紹介します。いずれにせよ、企業ITの都市計画的デザインにおいて、ミドルウェア(=幹線道路)は成功要因となる重要なパーツといえます。

連携図p2.png

被災日が「防災の日」になった日

 話は復興計画に戻りますが、ニュースなどで震災からの復興という言葉を聞くとき、復興が成し遂げられた状態って、どんな状態のことをいうの?と、疑問を持つことがあります。そもそも関東大震災からの復興が成し遂げられたのはいつと見るべきでしょうか? 間に大きな戦争もありましたので、なんともいえませんが、私はそれを1960年と見ています。1923年9月1日に発生した関東大震災にちなんで、毎年9月1日が「防災の日」と制定された年です。それまで9月1日の行事といえば震災犠牲者の慰霊祭が中心だったそうですが、「防災の日」制定以降は全国各地で防災訓練が行われる日になりました。1960年を境に、人々の動きや考え方が変わったのです。時間が経っても忘れてはいけない日だけれども、それとの向き合い方は時間とともに変わっていっても良いのだと、そう思いました。3月11日にも、早くに「防災の日」が訪れるように、願っています。

スカイツリー.jpg

≪参考文献≫
内閣府ホームページ 『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成20年3月1923 関東大震災【第3編】』より<http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923-kantoDAISHINSAI_3/pdf/5_v1_chap1.pdf>

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