マスコミの人間が決定的に理解できないネットの本質
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昨日スタートした「あらたにす」ですが、同じような感想を持っている方が多いようです。
マスコミの人間が決定的に理解できないネットの本質 ~朝日、日経、読売3社連合「あらたにす」を見ての感想~
はっきり言ってしまえば、「あらたにす」は間違いなく失敗する。かつて共同通信と地方紙連合が立ち上げた47NEWSと同じくらい、過疎状態になる。なぜダメかと言うと、RSSに対応していないのも驚いたが、構成自体が新聞といったマスコミの論理から1ミリも抜け出せていない。RSSなし、SEOなし等々、知ってか知らずか、短い期間ではあるものの積み上げてきたネットで勝つための最低限の鉄則を完全に無視したサイトです。
既存のマスコミが絶対に理解できない、かつ生理的にも受け付けられないネットの特徴は「編集権を読者に委ねている」ということ。新聞、ラジオ、テレビと既存のマスコミはすべてニュース価値をマスコミの側で判断し、それを受け手に与えるという構造だった。何をどう扱うかは最初から最後まで、すべてマスコミ次第。つまり「編集権を完全にコントロールできる」状態。言い方を変えれば完全なる「押し付け」だ。だから、マスコミはブログだとSNSなど受け手の側が発信、編集するというのは生理的にも受け入れられない。マスコミとCGMとの違いは、TV・新聞とネットとのメディア特性の違いに基づいています。ネットでは、インタラクションに魅力があるのであって、放送免許や新聞販売店網で配布リソースを確保した上で行うビジネスとは、全く違う展開になります。
「あらたにす」はマスコミの「押し付け」論理から一ミリたりとも出ていない。必ず、行き詰る。しかも、かなり早い段階で。行き詰ったときに方向転換できるかどうかが鍵になると思います。
他方、メディアの特性に無頓着な楽観論もあるようです。
日経・朝日・読売3紙のサイト「あらたにす」がオープン(ガ島通信)
ネット時代であろうと、なかろうと、どのように陳列を工夫しようと、並んでいる商品(情報)そのものの質が低ければ意味がありません。
それはそうなんですが、逆に「並んでいる商品(情報)そのものの質が」いくら高くても、「陳列に工夫」がなければ、ネットユーザの支持は得られません。放送免許のおかげでTVのチャンネル数が限定されていたり、販売店網にかけるコストの見返りに世界最大の宅配網を持っている世界と、誰もが参加自由の海の中で検索エンジンに依存せざるを得ないネット世界とは大きな違いがあると思います。インターネットが始まった頃、素晴らしいサイトが人知れず消えていったことを忘れてしまっているのでしょうか?新聞社のいい情報が評価の俎上に上がるのは、宅配網とTV局をグループ内に持っていることに依存していることを過小評価してはいないでしょうか?いいものであっても知られなくては賞賛されないという事情で、ネット広告は伸びていると思います。
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