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ベンチャー企業の成長について、現場で思うこと

12年周期

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先日、人材紹介会社主催のセミナー講師をした際、自分のキャリアを振り返ってみた。今まで6社にお世話になっているが、入社・退社の年は、ほとんどがオリンピックイヤーだった。会社の研修で時折見かける自分史年表を作ってみると、12年周期をつくづく感じる。

生まれた年は1960年、ローマオリンピックの年である。

その12年後の1972年、中高一貫教育の進学校に入る進路が固まり、親が敷いた学歴社会のレールを走っていくことを決めた。札幌オリンピックで日の丸が3本揚がり、日本が自信を深めていた。

その12年後の1984年、大学を卒業して、最初の会社である住友不動産に入り、月の残業時間が100時間を超えるハードワークを楽しく経験した(当時は、隔週週休2日であり、所定労働時間も長かった)。新規事業の企画を1日1本以上策定し、実際に出来た会社の立上げも複数経験することが出来た。急成長していたため、人材が不足しており、他社が10年以上のベテランを送り込む研修に新人時代から参加するチャンスが得られた。会社での働き方は、社会人最初の2、3年で決まると今では思っているが、そういう意味では、とてもいい会社に入れて、ラッキーだった、と思う。

その12年後の1996年、アメリカでのゴルフ留学から帰国して、福岡の建設会社に入社した。Windows95が前年11月に発売され、PCが一人一台になる時代を予感させており、200人の会社に電子メールやグループウエアの導入を推進し、生涯一番のハードワークを経験した。管理職だったので、残業時間は計算していないが、月150時間くらいにはなっていたはずである。コスト効率よく最先端のシステムを導入するにあたって、情報を集め自分で判断する重要性を学ぶことができた。アトランタオリンピックで有森裕子が2度目のメダルを取り、「自分で自分をほめる」ことが注目された。猿岩石のヒッチハイクが行われたのも、この年である。

人生を12年周期で見返してみると、意外なことに気づくことが多い。小学校卒業や大学卒業の年になることも多く、転職限界の年であることも多い。人生のサイクルを感じ、何かを決断することは、自分自身を成長させるエネルギーにつながると思っている。
2008.2.16

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