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「わたし、あなたのこと好きになってもいいですか?」について語れる場

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恋愛論や哲学的な話は、意外とネットとの相性はいい感じがします。半匿名性などネットでの人間関係の距離感が合っているのかも知れません。最近読んだ下記のエントリー。

わたし、あなたのこと好きになってもいいですか?
わたし、あなたのこと好きになってもいいですか?-2

「わたし、あなたのこと好きになってもいいですか?」という問いを実際に発した時、そこには話し手の謙虚さが匂わされる。「あなたは私にはもったいない人かもしれない」という謙譲、「こんなことを私に言われたら困るかもしれないけど」という気遣い。それによってこの問いは、相手にとっては自尊心をくすぐられる、ある意味気持ちいい言葉にもなり得る。これは一種の「抵抗できない言葉」なのだ。そこに、話し手の無意識の企みが隠されているように感じられる。
「あなたのこと好きになってもいいですか?」と訊かれて、「いけません」ときっぱり不許可を下せる人は少ない。それは相手の「自由意志」に属することなわけだし(それに無下に却下すれば、お高く止まっている冷たい人と思われる。人に好かれて悪いことなどないじゃないか‥‥)。だが「いけません」と言わなければ、少しでもそれに肯定的な言葉を発すれば、「好きになってもいい」許可を与えたことになる。許可は「合意」である。

実際に読んでいる時間帯にもよるかも知れませんが、こういう文章をPCで読んでいると、満員電車の中で座って本を読んでいる感じに近く、周りに人はいるんだけど、自分自身の深みと文章に書いてある内容とで濃密なコミュニケーションが取れるような気がします。

また、こういうブログについたコメントを読むことで、他者の深みを知ることもできます。親族が減り、近所付き合いがなくなったところで生まれる虚無感をネットが少し埋めることができれば、それはそれでいいことかな、と思います。

はてブ現象

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