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ベンチャー企業の成長について、現場で思うこと

メディアはメッセージである

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妹尾さんのエントリー「だったら「冷凍赤福」を販売してくれれば良かったのに・・・。」は、楽しく読ませてもらいました。冷凍技術・解凍技術の進歩で、生菓子と同じような冷凍赤福を作ることは可能でしょうし、ユーザが何を価値としているかについて、考えるきっかけになりました。

当初はユーザに少しでも美味しく食べてもらうことしか考えていなかったのでしょうが、その手段だった「生」という手法が自己目的化してしまい、、「生」でないのに「生」という表示を偽装してしまった。「生」という手法よりも美味しさという実質が大事なのに、手法に対する信頼を逆手に取ってしまったことに判断の誤りがあった、ということだと思います。技術の進歩で同じ美味しさを提供できることを考えれば、「冷凍赤福」と表示し、実質勝負の商品も提供すれば良かった、という指摘は鋭いと思いました。

ユーザの消費行動は、合理的に説明できるとは限りません。実質的な機能(美味しさ)で決めることもあれば、信頼・ブランドに依存して決めることもあります。供給側もユーザに提供している価値を見誤ると、本当は意味のない偽装工作に陥り、最も大事な信用を失ってしまうことになります。

それに比べて、情報を扱うメディアは、信頼こそが重要になります。情報そのものの価値よりも、媒介者自身が問われています。マクルーハンは、「メディアはメッセージである」という言葉を残しています。同じ情報を扱う際には、メディア自身がメッセージになります。天気予報番組で重要なのは、予報ではなく予報士、ということになります。CGM隆盛の昨今では、個人のメッセージ性・ブランドが極めて重要であるということになります。

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