雑誌の価値は、それを取り巻くコミュニティにある
「ワイアード」や「サイゾー」を生み出し、ギズモード・ジャパンを運営する小林弘人氏の誰でもメディア宣言は、とても注目しています。
ウェブで「配信」ではなく「出版」と言うワケ~だってそれは、プロトコルに過ぎない
様々なメディアに精通している分、紙とネットというツールに拘泥する一般的な話とは異なり、メディアの本質的な役割について、深い話が語られています。
「ジャービス氏は、「雑誌の価値は編集者でも、記事にあるのでもなく、それは雑誌を取り巻くコミュニティ」であると言います。私自身も、まったく同じ結論を抱いております。」
ユーザ視点で考えると、嗜好性(好き嫌い)とか有益性(役に立つ)を追求している雑誌を情報拠点とし、双方向性を持つコミュニティに価値がある。ツールの優劣は、インタラクション性の豊富さで判断される、ということになります。
「文脈(コンテクスト)を理解するためには冗長さが必要とされる」
「ドラマなどが典型かと思われます。その意味で、書籍は文脈を編み、それゆえこのコラムのように冗長で「あらねばなりません」。」
いいコンテクストは冗長である。伝わるコンテクストは冗長である。コミュニケーションを考える上で、とても重要なポイントだと思います。メッセージはシンプルであるべきですが、伝え方にはストーリーが必要だということになります。
「書籍は(特に有体物としてのそれは)、メディア・コンバージェンス(収束・融合)の流れから、独立して存在することが可能な完結したメディアという気がします。つまり、文脈が個人の中に置かれるがゆえ、外部性を必要としないつくり「も」可能なため、クローズドなテキストとして存在できる歴史上もっとも旧くて成熟しきったメディアだと思います。」
外部性を必要としないメディアには、インターネットの影響が及びません。聖書を基にしているキリスト教の強さ、宗教における書籍の重要性を再認識しました。