経験が本当に十分ある(と思う)なら、「KKD」で全然いいさ。
経験を信じて動くとき、そこには勘も働くし、それも結構に当たりだろうと思う。
こと最近は、勘に従い動こうとしたことをためらって結局動かなかったときに、必ずといっていいほど成功から逆行している。きっと勘を信じるべきだったのだ。
でも、その勘は、経験の量や質によるものなので、必ずしも成果に結びつくとも限らない。正解にたどり着く保証もないのだ。
それでも今は、「勘を信じて動きたい」と言われたら、それを是とするだろう。
でも、その責任は自分が100%とるつもりでいるんだよね。それで失敗して誰も嬉しくないわけで。
それに自分だけじゃないよ。仲間や上司である私とかも同じです。その「経験から来る勘」を信用した以上、連帯責任ですからね。
いつも自分もそう思う。いくらでも責任とる。ただ、責任とる=そして去る・・・なんていう短絡ストーリーは建設的じゃあないからね。
つまり責任をとるということは、当人の勘を100%信じられるか、自分の「経験から来る勘」に問うわけだ。
実は最近、いろんな事情、背景から、自分が直接現場に降りて仕事の采配をふるっていく案件が少しずつ増えている。直接後輩・部下の仕事ぶりが観察できる。
文書作成力、絵心、基本コミュニケーション術、エグゼクティブプレゼンテーションスキル、クライアントとの交渉、そして与えられているストレスやフラストレーション。
長所や短所だけでなく、現在は平凡だが磨けばかなり輝けるポテンシャルの存在や、本質的な性格も含め適材適所の方向性がみえてくる。
現場の空気は、現場に行かねばわかりようがない。でもわかった上で、上記についていろいろ深い指導もできる。わかりすぎて少々厳しい指導もやってしまうのだが、それは先輩の知恵を知るいい機会だと思ってもらいたいものだ。
経験が本当に十分あると思うなら、「KKD」で全然いいさ。
経験、勘、そして、度胸。KKDは悪いことじゃない。
ただ、ちょっと気をつけてほしい。勘が冴えるのも基本は己の経験量に比例してのこと。度胸はいくらでも鼓舞できるけど、勘に頼るとき、所詮は己の力量の範囲と心得よう。
経験を積めば積むほど、勘も冴えてくる。それを実感すればするほど、度胸も強くなっていく。
ただ、
経験は必ずしもベストプラクティスではない。
それだけに、効率的効果的に、後進には経験をどんどん積んで欲しいなと思います。。。