偽りの日々。
(今回は感情的つぶやきであり、何かを伝えるエントリでないことを先に宣言しておきます<(_ _)>)
この世には、少なくとも自分のまわりには、運やツキというものが存在する。
つたない英語力でも、たまたまの自分の理解範囲で流れを作ったら、そのまま会話が完結して前にちゃんと進んだりすることもある。
中途半端な思考に基づき二つ返事してしまっても、その方向性がたまたまうまく行き、バッチリ成果を創出することもある。
思えば自分はなんと悪運でここまで来れたことか。
やるべき仕事がちっとも進まず、「さて、どこでこの最悪の進捗を打ち明けようか」と思っていたら、そのサブプロジェクトがキャンセルになり、その仕事をやること自体が中止、報告も不要でお咎めなし、だったり。
・・・書ききれないくらい、同様の事象がある。
こんなんでいいんだろうか。
何度も思った。こんな偽りだらけの人生を、手放しで喜んだらいけないと。
それとも、
みんなこんな感じで偽りの日々を送っているんだろうか。脳天気に言えば「ラッキー」が連発するような人生を。
時々自己嫌悪に陥ってしまう。
今回、米国にいると、普段自分がどれだけ微妙な言い回しを駆使して生活しているかがわかる。
そして、それがなくてもつたない英語でまったく問題のない最低限のコミュニケーションが成立してしまう自分が今ここにいたりして、どうしてどうして、自分は「行間のない会話のみ」によって、ここで生活できていると、それを安易に受け入れたりしたら、もう自分は成長できないんじゃないか、とまで今後が恐ろしくなってきてしまう。
たぶん昔と今が違うんだと思うけど、米国にいるからといって、普段の会話に聞こえてくる英語の割合は案外少ない。
いろんな国の人がいるから、普段は他国語で会話している人が大半。スタバやカフェバー、タクシーや空港のカウンター、いろんなところで英語以外の言葉がたくさん聞こえてくる。
彼ら彼女らは、明らかに2つ以上の言語を使いこなしている。
日本人、っていうか、自分、情けないなあ。もっと精進しなきゃ。
このままじゃいけないな。
自分はもっと上を目指して、残りの人生をもっと駆け抜けなければならない。
ホントそう思った。老眼に負けるな(笑)。もっともっと勉強しよう。1回きりの人生、少しでも悔いのないように。
それにしても・・・不注意で新調した電子辞書をマイアミであっさりなくしてしまった!・・・ううっ、切ねえ。っていうか、悲しすぎる・・・涙
(おしまい)