ここ数日、ウクライナの北の隣国であるベラルーシ(白ロシア)の大統領選挙に端を発したデモ、国民による騒乱がニュースの一面を飾り始めたので久しぶりにブログ記事を書きたいと思います。
ベラルーシは東スラブ三兄弟(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ)の国の一つで北をバルト三国、東にロシア、西にポーランド、南にウクライナと国境を接している旧ソ連の構成国の一つです。ソ連崩壊後の1994年以来アレクサンドル・ルカシェンコ大統領が国家元首として君臨しています。ベラルーシは選挙があっても必ずルカシェンコ大統領が当選しており、選挙不正も度々指摘されています。私はベラルーシに2003年、2004年、2019年の三回行ったことがありますが整然としたソ連的な街並みと国のいたるところにあるルカシェンコ大統領の肖像に「欧州の北朝鮮」という代名詞もまんざらではないと思いました。ウクライナがウクライナ語を公用語にし、ウクライナ語化を進めているのに対し、ベラルーシ語はほぼ死語と化しており、国民のほとんどは家庭でも外でもロシア語を通常使用しています。このことはナショナリズムの増大を抑え、親ロシア路線をサポートしていると思われます。ロシアとの国家合併の話も度々出ていますが実現はされていません。ベラルーシ人は概しておとなしくシャイで革命やデモなどは起こさない国民性とされています。去年ベラルーシにGlobal Entrepreneur Weekというイベントに招待され行ったのですがウクライナと違い、自分達の国は政治的に安定し、国もIT支援に積極的なんだと皆言っていたのが印象的でした。
そのベラルーシで今起こっている事は間違いなく前代未聞の出来事と言えます。8月9日に大統領選挙が実施されたのですが現職ルカシェンコ大統領が得票率80.2%を獲得し、6選を決めたと思われたのですがこれに国民の怒りが爆発。特に若者を中心に首都ミンスクでは騒然たるデモ行動が続いており、数十名の死傷者、3000名の逮捕者が出る大惨事となっています。選挙前に数々の対抗馬を逮捕、排除したのですがその対抗馬の逮捕者の妻で自らも大統領選の候補者であるチハノフスカヤ氏が中央選管で監禁、動画で無理やり現政府を認める声明を撮られその後リトアニアへ国外脱出を強いられるという驚きの展開になっています。さらに驚くべきことにルカシェンコ大統領はなんと国内のインターネットをブロック、商店の午後6時以降の営業を停止するなどの事実上の戒厳令を敷いています。今現在ミンスクにいる筆者のアメリカ人の友人によるとインターネットが制限されたため、VPNを使っているがそれも一部を除きブロックされており、事実上現在ベラルーシはインターネット鎖国状態に陥っているそうです。ルカシェンコ大統領は公邸近くに脱出用ヘリを待機させており、いつでも国外逃亡できるようにしているそうです。
ここまで見てきて私はベラルーシの現在の状況は2014年のウクライナのユーロ・マイダン革命前夜の状況と非常に酷似していると思いました。ロシアを除くと欧州で民主主義が存在しない国は現在ベラルーシのみです。ここまでグローバル化し西側諸国の情報が自由に手に入る時代にメンタリティ自体はほとんど西側の欧米諸国と変わらないベラルーシの若者が自由と民主主義を求めるのも全く不思議ではありません。現にウクライナでは若者の多大な犠牲のもと2014年に当時のヤヌコビッチ大統領がロシアへ脱出し、親欧米政権が誕生しました。
私がベラルーシへ初めて行った2003,2004年当時も若者は英語を話し、ルカシェンコ大統領への不満を口にし、国外移住への夢を語っていました。今やベラルーシ人一の富豪、ベラルーシ出身の唯一のビリオネアになったWargaming.Net社(World of Tanksを制作しているゲーム会社・キプロス証券取引所に上場)の創設者兼CEOのビクトル・キスリー氏に初めて会ったのも2003年でした。私はまだ海外の大学生で学期の休み中に欧州を横断旅行したのですがその際欧州の東の最果てのベラルーシへも立ち寄りました。同社オフィスに招待されたのですがその当時、旧ソ連のボロボロの普通のアパートの一階の一室を使って6人ほどでコツコツ3DソフトのMayaを使ってゲームを制作していたのが印象的でした。キスリー氏は当時ベラルーシ国立大学で物理学を専攻し卒業して起業したばかりで外国人の私と話すのを心より楽しんでいました。同社は今では世界数十か国に拠点を構え従業員は4000名以上の大企業に成長しました。その時はこの零細企業がその後十数年でここまで大きくなるとは夢にも思いませんでした。ちなみにキスリー氏の当時のガールフレンドが働いていた関係で今ではNY証券取引所に上場し、世界的ITアウトソーシング企業へと成長を遂げたEPAM社のミンスク・オフィスも訪問し、幹部や従業員とも卓球やBBQしたりして交流しました。こちらも世界的大企業になり、ベラルーシIT国家戦略の屋台骨を支える存在になりました。皮肉と言えばキスリー氏、彼の当時のガールフレンドはじめ、ほとんどがその後ベラルーシに愛想を尽かして西欧、キプロス、北米などに移住をしてしまったことでしょう・・。