「無限ループ」は罠なのか、それとも螺旋なのか----コンサルキャリアを渡り歩いて25年、たどり着いた答え
東洋経済オンラインに、コンサルタント・芸人の松本昌平さんによる論考「コンサル選ぶ若者が見る地獄----『激務』でも『就職難易度が高い』でもない、転職無限ループという罠の正体」が掲載された。総務省・財務省での勤務を経て、複数の戦略コンサルティングファームを渡り歩いてきたという、著者自身の実体験に基づく論考である。
読みながら、自分自身のキャリアと何度も重ね合わせずにはいられなかった。通信事業会社からキャリアをスタートし、複数のコンサルティングファームを渡り歩いてきた身として、この記事が指摘する「無限ループ」の危うさには、確かに頷ける部分が多い。しかし同時に、25年というキャリアを振り返ったとき、私はこの「渡り歩くキャリア」を、記事とは少し異なる角度から見ている自分に気づいた。
本稿では、この論考を手がかりに、「渡り歩くキャリア」が罠になるのか、それとも資産になるのかを、私自身の実感を交えながら考えてみたい。
参考:東洋経済オンライン「コンサル選ぶ若者が見る地獄----『激務』でも『就職難易度が高い』でもない、転職無限ループという罠の正体」(松本昌平氏)
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■ 記事が指摘する「渡り鳥」キャリアの悪循環
まず、記事の論旨を確認しておきたい。松本さんは、プロフェッショナルな働き方の特徴を、こう整理している。自分で自分のキャリアを決められる自由がある一方、転職のたびに人材市場の厳しい査定に晒され続け、選ばれ続けるために「成長」や「キャリアアップ」を追い求め続けなければならない。この状態が、どれだけ優秀でタフな人間であっても、長く続けるには過酷すぎるのだという。
数年ごとに次の会社へ、また次の会社へと移っていく「渡り鳥」のようなキャリアは、一見華やかに見える。しかし内実は、常に不安定な立場に置かれ、専門性も中途半端になり、本人も疲弊していくという悪循環に陥りがちだ、と松本さんは指摘する。
特にコンサルという業界がその典型だという。コンサルは結局のところ、モラトリアム期間を過ごす場所であり、自分探しの場所、いわば大学のようなものだ。多くの業界・多くの課題に触れられるからこそ、自分が本当に深掘りしたいテーマを見つけられる可能性がある。しかし逆に言えば、明確な目的意識がなければ、何も見つけないまま、汎用スキルを積んでいる「やってる感」だけを味わいながら、時間だけが過ぎていく。
そして松本さんは、コンサルという仕事を「ジョーカー」に例える。業種・職種の壁を軽やかに飛び越えられる、大きなキャリアチェンジに有効なカードだ。しかしジョーカーは、普通のカード(つまり、軸となる専門性)があって初めて生きる。それしかなければ、ゲームにはならない。コンサルはどこへでも行ける可能性を持つ一方、何も考えずに行動していると、どこにも辿り着けなくなる----これが、記事の核心的な警告である。
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■ 25年、渡り歩いてきた身として
私自身のキャリアを振り返ってみたい。通信事業会社での勤務を経て、複数のコンサルティングファーム(総合系、戦略系、そして組織・人事専業)を渡り歩き、現在は組織・人事変革のコンサルタントとして約25年になる。まさに、記事が描く「渡り鳥」そのものだ。
だからこそ、記事の指摘には強く共感する部分がある。転職のたびに、それまで積み上げてきた社内評価や人脈は一度リセットされ、新しい環境で改めて信頼を築き直さなければならない。専門性の一貫性を問われれば、確かに一つの領域を掘り続けてきた人には敵わない部分もある。「渡り鳥」であることの代償は、決して小さくない。
しかし、それでも私は、この「渡り歩くキャリア」を後悔していない。むしろ、それこそが自分の専門性の核をつくってきたと感じている。その理由を、二つの観点から書いておきたい。
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■ 相対化する力----「当たり前」を疑えるということ
一つ目は、複数の組織の「当たり前」を、身をもって相対化できたことである。
ある会社では絶対的な常識とされていたことが、別の会社では誰も気にしていなかった。ある業界では革新的とされる制度が、別の業界ではとうの昔に廃れていた。こうした「常識のズレ」を、書籍やケーススタディとしてではなく、自分の身体を通して何度も体験してきたことは、組織・人事コンサルタントとしての仕事に、決定的な価値をもたらしていると感じている。
クライアント企業から相談を受けたとき、「これは御社固有の課題なのか、それとも多くの企業に共通する構造的な課題なのか」を見極める力が、コンサルタントには不可欠だ。この見極めは、一つの会社、一つのファームに長くとどまっているだけでは、なかなか身につかない。複数の組織の内側を渡り歩き、それぞれの「当たり前」がいかに相対的なものかを痛感してきたからこそ、養われた感覚だと思う。
一つの会社に定住し続けることの価値を、私は否定しない。深く根を張ることでしか得られない専門性や信頼関係は確かに存在する。しかし、渡り歩くことにも、別の種類の専門性----複数の視座を行き来できる力----が育つのだということを、強調しておきたい。
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■ 「ジョーカー」は、使うほどに磨かれる
二つ目は、記事が用いる「ジョーカー」という比喩への、私なりの異論である。
松本さんは、ジョーカーは普通のカードがあって初めて生きる、それしかなければゲームにならないと書く。この指摘は、正しい面もある。何のテーマも持たずにただ渡り歩けば、確かにどこにも辿り着けない。
しかし私は、渡り歩くという行為そのものが、一枚のジョーカーを「使い続けるうちに磨かれていく特殊なカード」に変えていくのだと思っている。私の場合、渡り歩いた先々で一貫して軸に据えてきたのは、「組織・人事」というテーマだった。通信事業会社での人事企画、複数のコンサルティングファームでの組織・人事変革支援。業種も職種の細部も違えど、常にこのテーマだけは変えなかった。
同じテーマを、異なる環境で、異なる制約条件のもとで、何度も繰り返し実践し直す。この反復こそが、単なる「コンサルという汎用スキル」を、その人固有の専門性へと転化させていくのではないか。ジョーカーは、使われないままでは万能カードのまま留まる。しかし、同じテーマを持って何度も切られ続けたジョーカーは、いつしか「組織・人事というテーマにおける、複数業界を横断した実践知を持つカード」という、より特殊で価値のあるカードへと変わっていく。
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■ 記事の指摘で、本当に重要な部分
ここで、記事の指摘を全面的に否定したいわけではないことを、明確にしておきたい。むしろ、松本さんの論考の中で最も重要だと感じたのは、「目的意識の有無」という論点である。
何のために渡り歩くのか。その一貫した軸を、自分の中に持っているかどうか。軸のない移動は、確かに「なんとなく時間を消費するだけ」になりかねない。あらゆる業種、あらゆるテーマを浅く触れて回るだけでは、記事が指摘する通り、市場価値は上がったように見えても、中高年になったときに立ち行かなくなる可能性が高い。
この点で、記事と私の見解は、実は対立していない。むしろ、記事が警鐘を鳴らす「悪いループ」と、私が擁護する「良い螺旋」を分けるものこそ、この目的意識の有無なのだと思う。
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■ 「終の住処」ではなく「螺旋」というキャリアの測り方
キャリアの成功を測る物差しは、一つではない。松本さんの記事は、「終の住処」----安定して長くとどまれる場所----を見つけられるかどうかを、一つの重要な指標として置いているように読める。それは、決して間違った物差しではない。
しかし私は、もう一つの物差しを提案したい。それは「螺旋」としてのキャリアである。渡り歩くキャリアは、遠目には同じ場所をぐるぐる回っているように見えるかもしれない。しかし、一貫したテーマという軸を持って回り続けていれば、実は一周ごとに、視座も専門性も、少しずつ高い場所へと上がっている。ループではなく、螺旋。平面ではなく、立体。
安定した終の住処を見つけることも、螺旋を描きながら高度を上げ続けることも、どちらも正当なキャリアの形だと思う。大切なのは、自分がどちらの物差しでキャリアを測りたいのかを、自覚的に選び取ることだ。
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■ おわりに
「転職の無限ループは罠だ」という警告は、目的意識を欠いたまま渡り歩く人にとっては、痛烈な真実だろう。しかし、一貫したテーマを軸に据えて渡り歩いてきた人間にとって、それは罠ではなく、専門性を立体的に磨き上げてきた螺旋だったと、私は思う。
25年間、渡り歩いてきたキャリアを振り返って、いま確信していることが一つある。大切なのは、どこに留まるか、どこを渡り歩くかではない。渡り歩く中で、何を一貫して問い続けるか、ということだ。
その問いさえ手放さなければ、無限ループは、いつか必ず螺旋になる。
参考リンク
・東洋経済オンライン「コンサル選ぶ若者が見る地獄----『激務』でも『就職難易度が高い』でもない、転職無限ループという罠の正体」(松本昌平氏)