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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

仕事はロールプレイなのだ。

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かねてより私、「着ぐるみメソッド」なるものを提唱しているのですが、「そんなもん、初めて聴いたぞ!」という方が1億人以上いらっしゃると思うので、改めて解説しておきます。

仕事をするということは、色々と嫌なことだの切ないことだの、腹立たしいことだのに見舞われるということでもあり、(もちろん、楽しいこと、幸せなこと、喜ばしいことも同じようにあるわけですが)そういう辛い方面の記憶は、はっぴーな記憶よりも、長続きしてしまう傾向にあると思われます。

たとえば、金曜に嫌なことがあって、家に帰って、ビール飲んでも忘れられなくて、土曜日も日曜日もその嫌なことに捉われて、折角の休日が楽しめず、嫌なことに頭の中を占められたまま月曜に出社して、嫌なことをさらに強く思い出して、気分悪くなる、という、そんな悪循環に陥ることがあります。

引きずることがないようにするにはどうしたらいいのか?を考えた時、「そうだ!着ぐるみを着ている」というイメージを持てばいいのだ!と、「そうだ!京都、行こう!」的なノリで思いついたのが、30代のころであります。

私は今年で社会人31年目になり、ずーっと人材育成支援業に就いているのですけれど、30代の頃、同じ部署、他部署問わず、退職する人(講師業)の退職理由の一つに、「講師はツラい」というのがありまして、なんでかなーと思ったら、受講者(お客様)との関係で悩んだ末、というのがあることに気づいたのです。

今は皆さま、とても紳士的、淑女的なのですが、20年前くらいの受講者というのは、怖かったのですね。

講師に喧嘩売ってくるなんてのはまだいいとして、セクハラっぽいこととか、ですね。まあ、いろいろです。(私は、講習会中、突然、怒鳴られたことがあります。)

今思えば、若造が講師やっていて、同年代あるいは年長の受講者から見れば、つたないこともあったでしょうし、気に入らないこともあったのかと思いますけれど、とにかく「接客業」なので、多方面に気遣いをする必要がありました。

で、そうやってキツイ言葉を投げかけられたり、実力を試すような質問をされたりして、対応がうまくいかず、落ち込む講師(後輩)が結構いまして、その内、何人かが辞めちゃうんですね。
「この仕事はきつい」「私にはまだ無理」と。

その時、「講師という着ぐるみを着ているつもりで仕事をしたら楽になるのに。たとえ、キツイ言葉を投げかけられても、対応が上手くいかなくて落ち込んでも、それは、着ぐるみを着ている状態での出来事であって、金曜の夕方には、その着ぐるみを脱ぎ、オフィス内のロッカーにでも掛けてしまって、自分は自分として帰宅したらいいんじゃないか」と思い立ったわけです。これが、「着ぐるみメソッド」ができたきっかけです。



以来、20数年、ずーっと提唱している「着ぐるみメソッド」は、他社の方にも受け入れられ、「お、おれもそれで行こう!」とか「私もそう考えたら楽になれる」といった賛同コメントを頂くことも多く、「田中淳子の"着ぐるみメソッド"」として、有名になったのであります。(←有名、ってのはウソです)

最近、これをさらにブラッシュアップして、「仕事はロールプレイ理論」を提唱し始めました。

上司という「役割」(ロール)を「演じて」(プレイ)している。
部下という「役割」(ロール)を「演じて」(プレイ)している。
営業という「役割」(ロール)を「演じて」(プレイ)している。

・・・


そういう風に考えると、色々と気が楽になるのではないかと。

職場の人と仲良くする、というのは、とても大切なことですが、それは、プライベートまで一緒になって、テニスしたり、海にいって花火したりする、という「仲の良さ」とは意味が違うと思うんです。

そういう関係になる人がいてももちろん構いませんし、土日にそれぞれの家族と一緒に遊ぶ同僚というのが出来てくるのも素敵なことですが、全ての人と「プライベート」でも仲良し、というレベルに到達する必要はない。

でも、仕事で仲良くなる、について考える時、どうしても、「ゼロかイチか」で考えてしまう部分があるように思います。

「プライベートで仲良くなるレベルではないけれど、仕事がうまく進められる程度には仲良し」という中間点があっていいはずです。
仕事がうまく進められる程度の仲良し、というのは、ロールプレイでできるんじゃないかと考えたのです。

普段、研修の中では、「ロールプレイ」をよく取り入れています。

部下との会話を模して、新任マネージャが「面談」を体験するロールプレイ、とか
営業職がお客様に向けてプレゼンするロールプレイとか。

教室の中は、それに専念できる場所ですし、「ロールプレイ」と割り切るので、比較的穏やかな気持ちでどなたもできるのですよね。(巧拙はあっても、できるといえばできる)

それ、「ロールプレイ」だからですよね。

現場に行けば、色々なしがらみとか物理的環境の違いとか、相手との関係性など、加わってくる変数がたくさんあるので、教室でのロールプレイほどスムースに行かないもの。

とはいえ、教室ではできるのであれば、実務でも「やろうと思えばできる」んじゃないか。

ポテンシャル(底力)はあるのだから、実務で実践するのも難しくないだろう。

・・・っつうことは、「仕事はロールプレイだ」と思って取り組めば、多少苦手な人がいたとしても、「役割」を「演じる」つもりで相手と関わることができるのではないだろうか。

まあ、そんなことを考えております。

まだ、「着ぐるみメソッド」ほどうまく整理できていないのですが、着ぐるみメソッドを包括する概念としての「ロールプレイ」理論。


こういう考えをするようになったのは、2-3年前にある人に言われた言葉がきっかけです。

「よく、上司が気に入らないとか、上司が分かっていないとか、ダメだ、とか部下は言うけど、上司にしてみたら、使いやすい部下かどうかは大きい。文句ばっかり言っている人よりも、仕事を先に進めてくれる部下。言いなりになれ、という意味ではなくて、評論ばかりして、口ばっかりで手を動かさない人より、前に進んで成果を出す人。これは、映画監督が、文句ばかり言って何も演じてくれない役者より、監督の意図を組みつつ、自分の意見があれば、建設的に言いながら、それでも映画の製作に前向きに取り組む役者のほうが使いやすいのと同じだよね。使いやすい役者になるってことが大事なんだよね」

おお、そうか、そうか。

監督から見て、使いやすい人か、なるほど。

これを、「上司はツラいよ」というコラムか何かに書いたところ、Tweetで「上司の言いなりになれっちゅうことか」「何でもYes と言う社畜になれってのかー」と、一部から批判が飛んできたのですが、そうは言っていない。

で、ずっとこの「映画監督が・・・」の話が頭に残っていて、もう少し、表現を変えられないかなぁと思っている内に、「仕事はロールプレイ」という言い方に至った次第。

「ロールプレイ」理論は、たぶん、夫婦にも適用できると思います。

「夫というロール」を「演じる」
「妻というロール」を「演じる」
「同居家族というロール」を「演じる」。

何でも本音で言えばいいか、というと、家族だって本音過ぎたら、ぶつかることもある。

「ロールプレイ理論」・・・。もう少し整理してみることにします。

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