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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

私のために願掛けしてくださった熊本の方~ミイルでの交流~

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3年くらい前、同僚から「淳子さん、Twitter、やりましょうよぉ」と何度も誘われたものの、1年ほど躊躇していました。というのは、何かこう恐ろしいことが起こりそうな予感がしたからです。インターネット上にものを書くというのは、なんだか恐ろしい・・・。匿名なあれこれから攻撃されたり、炎上したりするのではないかと心配して。だから、雑誌連載はしていたものの、ネット上の連載も長らく断っていたくらい、です。どうにも怖くて、できない、と。

しかし、何のきっかけだったかTwitterを始め、始めてみれば、案外怖い目に合わず、どちらかというと、「あ、これって、共感のメディアなんだわ」と感じるに至るまでにはそれほど長い日々を必要としませんでした。

その後、Facebookも始めてみたり。そして、「共感のメディア」ということをさらに強く感じるようになりました。Facebookなんて「いいね!」しかないわけで、共感したら「いいね!」とし、共感しない、賛同しない場合は「スルーする」という態度をとることができるわけですね。わざわざ「わるいね!」と言いに行く必要がない。

そうか、ソーシャルなコミュニケーションは、基本的に、「人と人とが”共感”することでつながり、時に心癒され、時に励まされ、時に勇気をもらい、そうして、生活の活力を得るもの」という位置づけなんだな、と思ったわけです。

人間、自分がしていることってそうそう自信もなく、考えていることにも「こんなこと考えるのは私だけか?」と不安にもなり、そんな時、「いいね!」と言われると、あるいは、「はげ同!」と書かれると、少しだけ元気がもらえる。

日常のコミュニケーションでそうそう「承認」を得ることが少ないからこそ、リアルではない人間関係のほうでこんな風に共感しあうというスタイル。これはこれでアリなんだなぁ。

話が変わるようですが、お料理。

誰かのためにいろいろ作った時、やはり相手の反応が気になるものです。「おいしい!」と言ってもらえるとうれしい。ホームパーティなんかだったら、「一人でよくこれだけ作ったね!」とねぎらわれたりするとわーい、と思う。 普通に盛り付けると色気もないので、イタリアンパセリなんか添えちゃったりして。普段はそんなことしないのに。

「このイタリアンパセリがアクセントになっているね」なんて言われたら、へへへ、とにやけてしまう。

ところが。

男友達って、そういう感性がないケースが多い。(当社調べ)

イタリアンパセリを乗せた料理を見て、

「何?この葉っぱ?」といい、脇にどけてしまう。その後、もうその葉っぱ、いや、イタリアンパセリのことについては言及もしない。

「葉っぱ、じゃない、イタリアンパセリで、緑色を添えたのだ!」と思うけれど、彼の眼には「邪魔な葉っぱ」と映る。

うう、つまらん!つまらん! つまらん! 

そんな中、Twitter,Facebookに続き、昨年10月に私が参戦したミイル(miil)です。iPhone持ちになったらまず登録しようと思っていた一つ。

これが楽しいのなんの。

もともとは飲食店の情報をシェアするために作ったと思われますが、「おうちごはん」「自宅ご飯」の投稿も多く、私は家庭料理がどうなっているか、どんな組み合わせで献立を考えるのか、あるいは、どんな器を使い、どんな風に盛り付けるのか、そういう細かいことにとても興味があるので、「自宅ご飯」投稿中心の方をたくさんフォローしています。

自宅ご飯を投稿するようになってからですね、自宅でのご飯が、「ちゃんと」するようになりました。

20代の頃、友人が、憧れの一人暮らしを始め、小さいながらも彼女の城に遊びに行った時、手料理をふるまってくれました。とても綺麗に料理を盛り付け、彼女が自分の生活を楽しんでいる様子が手に取るようにわかったのですが、一方で、遅くまで仕事をしていて、これをいつもするのは大変だろうな、と質問しました。

「いつもこんな風にちゃんと料理作っているの?」
「そんなわけないじゃない、今日はお客さんだからだよ」
「そうだよね」
「でも、できるだけ自宅で食べているよ。何か作って」
「それは偉いね!」
「今のところ、”鍋から直接”は食べていないよ」

この「鍋から直接食べていない」というセリフは鮮明に記憶に残っており、私も「鍋からは食べない」「何があろうが、雨が降ろうが槍が降ろうが体調が悪かろうが鍋からは食べない」を以来20年以上、心しております。

シングルライフの食事の、最後の一線は、「鍋から食べるかどうか」だと言っても過言ではないはず(笑)。

ミイルで食卓を投稿するようになったら、器だの盛り付けだの、あるいは彩りなんかもずいぶん考えるようになり、それが、結果的には、食生活の充実と安定につながってきました。

そのうち、「たべたい!」を付けてくださる方も増えると、ますます「ちゃんとしよう」と自分を律するようになり。好循環です。

ミイルは、100文字くらいコメントが書けるのですが、マス目があるとぎりぎりいっぱいまで埋めたくなる性分で、食べ物以外のことでもなんでもいいから、書くようになりました。

「今日はどこへ行く」とか「昨日はこんなことがあった」とか。

先週、私が5年来ずっと「こうなればいいな、こうなればいいな」と願い、もちろん、活動もしていたあることの結論が出ることとなりました。

月曜から「今週は、5年来の夢がかなうかも知れない」とミイルのご飯写真に添えて続けていたら、ある方が「淳子さんの夢がかなうよう、私もアイスクリーム断ちをします!」と書いてくださいました。そんな見ず知らずの、フォローしあっているだけの関係なのに、好きなアイスクリーム断ちなんて、恐れ多い、もったいない!と思い、「アイスクリーム、食べてくださーい」とお返事しておきました。キモチだけでも十分うれしい。

そして、木曜日。毎日、祈るように過ごしていた結果、「5年来の夢が叶う」ことがはっきりしました。もううれしくて、うれしくて、大学の帰りにケーキを買って、自宅でケーキの写真と共に、「5年来の夢が叶うこととなりましたっ!」と書き込んだところ、上記の女性から「おお、それじゃあ、断っていたアイスクリームを解禁します。お祝いに!」と再度コメントが。

え? 本当にアイスクリーム断ちをなさってくださっていたとは。

その後、彼女がアイスクリーム写真を投稿し、「じゅんこさんにお祝い」といったことを書いてくださいました。

本当にもう感激です。

男友達は、イタリアンパセリを「何、この葉っぱ」と言うわけです。(あくまでも当社比)

でも、見ず知らずのフォローしあっているだけの女性が、私の夢が叶うようにとアイスクリーム断ちを数日間決行してくださったのです。

ソーシャルなコミュニケーションツールというのは、本当に「共感のメディア」なんだなあ、と改めて感じました。

「何、この葉っぱ?」と言われて気分がくさってしまう方は、ぜひ、ミイルで大勢から「うわー、きれい♪」「おいしそう♪」「どうやって作るの?」「頑張ったね」と言われることで、気分を立て直してみてはいかがでしょうか?

案外、夫婦げんかの種が一つ減るように思いますよ(笑)。

熊本の @dorami さん、ホントにありがとうございました。感謝です。いつかお目にかかれますよう。

ほかにも何十件かの「よかったね」「おめでとう」コメントにも励まされました。大半がお会いしたことのない方ですが、いっしょに喜んでくださって、本当にありがとうございました。どんな夢が叶ったのかは、数か月先にお知らせできれば、と思います。

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ミイルってなんだ?という方もおいででしょうから、ミイルのサイトへリンク貼っておきます。

料理写真を投稿し、みんなでシェアするSNSです。
「いいね!」ではなく、「食べたい!」を付けます。フォローしあう、カテゴリで検索するなども可能です。

なぜか料理がとてつもなくおいしく見えるフィルターがあり、自宅の料理が100倍増しに写ります。これも、モチベーションが上がる要因の一つです♪

【ミイル<miil>】
http://miil.me/

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