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ソフトウェア製品開発現場の視点

聞きたくない、自動音声での「ありがとう」

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最近、駅を中心に自動音声でしゃべり続ける設備が増えている。エスカレーター、エレベーター、トイレの入り口など、いたるところで聞かされ続けていると、次第に腹立たしくなってきた。

鉄道業者側の良い分だと、おそらく目にハンディキャップがある方々の案内のためと言うであろうし、その方向性自体に反対するつもりはないが、自動音声でしゃべり続けさせることは、局所的な解決にしかならない。このまま、存在する設備すべてにしゃべる装置を付けていくと、いたるところで「階段です。」「ホームの端です。」「券売機です。」「改札機です。」と聞かされるようになって、案内自体が役に立たなくなるのは明らかである。本当に目にハンディキャップがある人のことを考えると、しゃべり続ける装置をつけることは解決にならないし、しゃべり続ける音声にいらだつ人が出てくるならば、誰にでも使いやすい「ユニバーサルデザイン」の考え方からもはずれてくると思う。

自動音声で、腹立たしいケースは2つある。1つ目は、何のきっかけもないのに、延々と繰り返ししゃべり続けるケースである。「◯◯改札行き下りエスカレーターです」というような意味の内容を、人がいてもいなくてもひたすらしゃべり続けるのがこのケースで、駅のホームなど、しばらくその場に留まる場所では、聞かされ続けてだんだん耐えられなくなってくる。とりあえず今の状況だと、その音声が聞こえない場所に逃げているが、もっとしゃべる施設が増えると逃げることもできなくなりそうである。

もう1つの腹立たしいケースは、「ありがとう」というような、本来は心を込めて発するべき言葉を、自動音声で言われることである。電車の駅で「◯◯線をご利用くださいましてありがとうございます」というような自動音声が流れていたりするが、まったく心のこもらない「ありがとう」を言われてうれしい人などいるのであろうか? 「電車が来ます」というような情報を伝えるための自動音声での放送は、意味があるので、まだ許せる(本当はそれさえもうるさいことも多い)が、「ありがとう」のような心を込めて言うべき言葉を、自動音声で代替する(さらにエンドレスの繰り返しで流し続ける)ことは、ある意味失礼ではないだろか?

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