今年を表す漢字1文字と言えば...「離」でしょうか?
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財団法人日本漢字能力検定協会が選んだ2011年の漢字は「絆」でした。
ご存知の通り3月11日に発生した東日本大震災はその規模はもとより、東北の沿岸部を中心に甚大な被害をもたらしました。
震災によって被害を受けた皆さまにお見舞いを申し上げると共に犠牲となった方々に深くお悔やみ申し上げます。
東日本大震災の被害は私の実家のある茨城県沿岸にも及びました。鹿島港構内で働く父は自動車のヘッドライトまで海水に浸かりながらも何とか難を逃れ、後日、その恐怖を語ってくれました。そして震災から一月の後に訪れた街は、コンテナが散乱し、道路は所により波を打ち、砂の噴出した跡がありました。海水を浴びた街路樹は緑を失い、辛うじて生き長らえているようでした。
私は、この様子を見て、津波のエネルギーの大きさに驚くと同時に、その何倍もの大きさの津波に襲われた東北地方に思いを馳せました。
東京で地震を経験した私たちの多くは、帰宅困難に陥ったり、物流が一時的に途絶えたり、計画停電など命よりも生活の不便を強いられることになりました。日本以外の国であれば暴動が起きてもおかしくはなさそうですが、大きな混乱が起きなかったのは(起きたのかも知れませんが)、大切な人、大切な物を失いながらも懸命に耐え、生きようとしている東北の人の姿を見たからだと思います。
これまでの日常が、突然津波によって全て流された喪失感や悲しみは、私がどうこう言うことすら失礼に当たります。しかし、これまでの日常、いつかのヒット曲の歌詞にあった「何でもないようなことが、幸せだったと思う」ようなことが、本当にありがたいことなのだと痛感させられたことは事実です。
東日本大震災は痛ましい被害をもたらしましたが、それによって多くの日本人が人と人との関わりについて深く考える機会となったと思います。日本が経済大国へと成り上がりグローバリズムの波に翻弄される中で失いかけていた思いやり、助け合いの精神に目覚めつつあります。
被災地の一日も早い復興を願う気持ちは勿論ですが、日本人の「精神の復興」までも成し遂げることが、私たちにできる犠牲者の方々への供養になるのだと信じています。
こういった諸々の思いが凝縮されたのが2011年の漢字に選ばれた「絆」なのではないかと思います。
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前置きが長くなりました。
本稿のお題である、今年の自分を表す漢字1文字と言えば、私は「離」という文字を挙げます。
人間何事においても、続けること、拘ること、努力すること、頑張ることは大事です。それこそ人としての美徳であり、これらを成し遂げた人こそが成功者として讃えられるのだと思います。
上記の言葉は、教師が生徒を勉強させるためにお約束ワードと言われるほど頻繁に使われます。「努力は人を裏切らない」使い古された陳腐な言葉のようにも思えますが、経験上これが生徒の心には深く刻まれるようです。
しかし、残念ながら続けても、拘っても、努力しても、頑張ってもうまくいかない人がいるのも事実です。
プロスポーツのように類稀な才能を求められる世界では致し方のないことですが、ごく普通のサラリーマンにも、学生にもよく見られる光景です。
これは恐らくその方向性に何らかの問題があるのだと思われます。一昔前のスポーツ選手で言えば「うさぎ跳び」で下半身強化を懸命にやって腰を痛めて選手寿命を縮めてしまう例や、肉体改造で筋肉量を増やした結果、膝の負担が大きくなり、そこを痛めてしまうケースなどが挙げられます。
上記は、飽くなき向上心が向かわせた努力ですが、その方向性が間違っていたがために残念な結果に終わってしまった例です。
しかし、この場合、当人が努力の方向性に何らかの問題がないか気付き、そして勇気をもって拘りを捨て「離」れることが必要になってくると思います。
方向性が間違っていたにしても続けてきたこと、拘ってきたこと、努力してきたこと、頑張ってきたことは、深い愛着を伴いますから「離」れる決断を下すのは容易ではありません。
2011年は、私が長きにわたり続けてきたこと拘ってきたこと、努力してきたこと、頑張ってきたことから「離」れる決断をした年だったのです。
もうかなり前から、その方向性が少なくとも私にとって正しい方向に向いていないことは感じ取っていました。ただこれまで積み重ねてきたこと、移ってしまった情、そしてこれまでの自身を否定することへの恐怖から、「離」への決断を下すことができずにいたのです。
「離」れても、執着してもどちらも茨の道ですが、「離」れたことで見えてきた世界は、これまでとは全く別のものでした。逆に、これまで費やしてきた時間が「モッタイナイ」ことに思えてきたのです。「離」れることによって、これまでの自身の立場を冷静に見られるようになりました。結果、「離」れて良かったと思えるようになったのです。
来る2012年は、私自身が下した決断が正しかったことが実証できるような一年にしていきたいです。
ご存知の通り3月11日に発生した東日本大震災はその規模はもとより、東北の沿岸部を中心に甚大な被害をもたらしました。
震災によって被害を受けた皆さまにお見舞いを申し上げると共に犠牲となった方々に深くお悔やみ申し上げます。
東日本大震災の被害は私の実家のある茨城県沿岸にも及びました。鹿島港構内で働く父は自動車のヘッドライトまで海水に浸かりながらも何とか難を逃れ、後日、その恐怖を語ってくれました。そして震災から一月の後に訪れた街は、コンテナが散乱し、道路は所により波を打ち、砂の噴出した跡がありました。海水を浴びた街路樹は緑を失い、辛うじて生き長らえているようでした。
私は、この様子を見て、津波のエネルギーの大きさに驚くと同時に、その何倍もの大きさの津波に襲われた東北地方に思いを馳せました。
東京で地震を経験した私たちの多くは、帰宅困難に陥ったり、物流が一時的に途絶えたり、計画停電など命よりも生活の不便を強いられることになりました。日本以外の国であれば暴動が起きてもおかしくはなさそうですが、大きな混乱が起きなかったのは(起きたのかも知れませんが)、大切な人、大切な物を失いながらも懸命に耐え、生きようとしている東北の人の姿を見たからだと思います。
これまでの日常が、突然津波によって全て流された喪失感や悲しみは、私がどうこう言うことすら失礼に当たります。しかし、これまでの日常、いつかのヒット曲の歌詞にあった「何でもないようなことが、幸せだったと思う」ようなことが、本当にありがたいことなのだと痛感させられたことは事実です。
東日本大震災は痛ましい被害をもたらしましたが、それによって多くの日本人が人と人との関わりについて深く考える機会となったと思います。日本が経済大国へと成り上がりグローバリズムの波に翻弄される中で失いかけていた思いやり、助け合いの精神に目覚めつつあります。
被災地の一日も早い復興を願う気持ちは勿論ですが、日本人の「精神の復興」までも成し遂げることが、私たちにできる犠牲者の方々への供養になるのだと信じています。
こういった諸々の思いが凝縮されたのが2011年の漢字に選ばれた「絆」なのではないかと思います。
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前置きが長くなりました。
本稿のお題である、今年の自分を表す漢字1文字と言えば、私は「離」という文字を挙げます。
人間何事においても、続けること、拘ること、努力すること、頑張ることは大事です。それこそ人としての美徳であり、これらを成し遂げた人こそが成功者として讃えられるのだと思います。
上記の言葉は、教師が生徒を勉強させるためにお約束ワードと言われるほど頻繁に使われます。「努力は人を裏切らない」使い古された陳腐な言葉のようにも思えますが、経験上これが生徒の心には深く刻まれるようです。
しかし、残念ながら続けても、拘っても、努力しても、頑張ってもうまくいかない人がいるのも事実です。
プロスポーツのように類稀な才能を求められる世界では致し方のないことですが、ごく普通のサラリーマンにも、学生にもよく見られる光景です。
これは恐らくその方向性に何らかの問題があるのだと思われます。一昔前のスポーツ選手で言えば「うさぎ跳び」で下半身強化を懸命にやって腰を痛めて選手寿命を縮めてしまう例や、肉体改造で筋肉量を増やした結果、膝の負担が大きくなり、そこを痛めてしまうケースなどが挙げられます。
上記は、飽くなき向上心が向かわせた努力ですが、その方向性が間違っていたがために残念な結果に終わってしまった例です。
しかし、この場合、当人が努力の方向性に何らかの問題がないか気付き、そして勇気をもって拘りを捨て「離」れることが必要になってくると思います。
方向性が間違っていたにしても続けてきたこと、拘ってきたこと、努力してきたこと、頑張ってきたことは、深い愛着を伴いますから「離」れる決断を下すのは容易ではありません。
2011年は、私が長きにわたり続けてきたこと拘ってきたこと、努力してきたこと、頑張ってきたことから「離」れる決断をした年だったのです。
もうかなり前から、その方向性が少なくとも私にとって正しい方向に向いていないことは感じ取っていました。ただこれまで積み重ねてきたこと、移ってしまった情、そしてこれまでの自身を否定することへの恐怖から、「離」への決断を下すことができずにいたのです。
「離」れても、執着してもどちらも茨の道ですが、「離」れたことで見えてきた世界は、これまでとは全く別のものでした。逆に、これまで費やしてきた時間が「モッタイナイ」ことに思えてきたのです。「離」れることによって、これまでの自身の立場を冷静に見られるようになりました。結果、「離」れて良かったと思えるようになったのです。
来る2012年は、私自身が下した決断が正しかったことが実証できるような一年にしていきたいです。
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