オバマ新大統領を選んだ米国国民と、麻生首相を退陣させられない日本国民の違いはなにか
米国初の黒人大統領がついに誕生した。
僕が敬愛しているケネディ大統領(本当に好きなのはその弟のロバートなんだが)と同じ40歳代の若い大統領であり、同時に通常であれば抜きがたいビハインドを抱えての勝利である。ケネディはアイルランド系カトリックであり、プロテスタントかつアングロサクソンでなければ大統領になれない、というタブーに挑戦して勝った。オバマも黒人の大統領は前例がない、という人種差別のタブーに挑戦して勝った。
もちろん彼らが困難に対して"Why Not"(なぜだめなんだ?)と言い放ち、立ち上がり、戦い抜いたからこその勝利だが、それでも彼らを選んだのが、そうしたタブーを抱えていたはずの米国国民自身であることを忘れてはならない。彼らが異端である候補者を選び、国家元首へと押し上げたのである。
その点、日本人はどうだろう?
麻生首相は悪化する経済状況の中でなんのビジョンもなく、知見もなく、戦略もない。これは特定の政治的な意思を持って話しているのではなく、どんなメディアの支持率調査のアンケート結果でも分かる、明白な事実だ。みんなが麻生さんはもういいよ、辞めてくれと言っているのである。それでも彼を引きずりおろすことができない理由はなんだろう?安倍首相の勝手な退陣、福田首相の無責任な退陣、そして麻生首相の無責任な居座り。これは国民に対する猛烈な悪意と言っていい。
それでも彼らをその姿勢においているのは日本国民自身なのである。
米国国民が、この時期に黒人大統領を選ぶに至ったことは、ある意味ものすごいギャンブルだ。それでも、少しでもよい方向になる可能性に賭けてみる、という彼らの姿勢が新しいリーダーを選んだのである。アメリカは間違いをしょっちゅう犯す。しかしそれを反省して(あるいはその間違いに懲りず)気持ちを改めて別の選択を行う勇気を持っている。日本人は間違いを恐れるばかりに冒険をしない。その結果、間違いを常に糺せずにいる。
僕たちももっと声を大にして叫ぶべきだ。もう無責任なリーダーはイヤだと。
We can change というよりも、I must changeと叫ぶべきなのである。強いリーダーがいないのは、実は強いリーダーシップを我々自身が嫌がるからだ。我々自身が強いリーダーの脚をひっぱるからなのだ。明確に未来を語り、ビジョンを示す人物に対して我々自身が嫉妬をしたり、怖がってしまうからなのである。つまり、国民一人一人に責任があると思う。
オバマ新大統領に、チェ・ゲバラに、スティーブ・ジョブズに、そうした変革者達に感銘を受けたのであれば、誰かが何かを変えてくれることを望むのではなく、自分自身で立ち上がって、一票を投じる、あるいは自分自身が変革者の一人になることを考えよう。
夢や理想を語ることは実に勇気が要る。その実行を迫られるからだ。でも勇気を持って選択しよう。リスクをとって行動しよう。革命はどこかの誰かが起こしてくれるものではなく、自分自身の小さな決意からはじまるものなのである。
始めよう、自分から。