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IT業界につとめる「雑貨屋(なんでも屋)」が、業界の事、情報セキュリティの事、趣味や日々雑感を綴っていきます。お暇な方はおつきあい下さい。

NETWORK黎明期の思い出

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 佐藤@IT雑貨屋です。

 ネットワークの技術的な内容を振り返りの意味を込めて記事を書かせて貰っていますが、本当にこの技術の進み方には感嘆してしまいます。そんな事を偶に感じてしまう事があるんですよね。

 まあ、シニアのエンジニアの端くれが呟く、戯言程度でも読んで頂けたら嬉しいです。

 私が初めに就職した会社は、当時、横浜にあったソフトウェアベンダでした。高校では一応、情報技術を専攻していて、BASICやFORTRANなどでプログラムの経験はありましたが、世の中でもパソコンが業務の道具として使われ始めた時代の頃で、年代で言えば1985年前後の頃です。

 当時はパソコンもスタンドアロンが当たり前で、パソコン間でデータをやりとりするのは、専らフロッピーディスクで行っていて、パソコン同士をつなぐなんて事は、殆どの人は「出来たらいいなぁ」程度の認識だったと思います。

 まあ、扱うデータも大きくて1Mバイト前後。日常的には数十~数百キロバイト程度でした。

 その当時は「パソコン通信」の黎明期でもあり、NIFTY-ServeやBIGLOBEなどのサーバに、電話回線をモデムを介して接続し、そこでは掲示板を見たり書いたり、ニュース配信や簡単な売買なんかもありました。でも当時のモデムの通信速度も2,400bspという超低速な時代ですので、主に文字情報による配信でした。
 でも当時、それを使う先輩を脇で見ていた私なんかは「これからは便利な時代になるんだろうなぁ」という、漠然とした期待感を感じていたモノです。そこでは簡易なメールやり取りも出来ましたからね。

 そこから少し時代が進み、1990年頃でしょうか。世の中でもC/S構成(クライアント/サーバ)というのが提唱され始めていて、私の仕事でも、とあるUNIXのアプリケーションデータを、パソコンに連動させるという案件が出てきました。そこで出てきたのがTCP/IPという言葉とLANという言葉でした。

 HP社のタワー型のワークステーションと、NECのPC-98シリーズをつなげるという事だったのですが、使うのはTwist-Pareの同軸ケーブル。今で言えばP2P接続ですね。

 協力会社のシステム課の課長が、その接続のナレッジがあるという事なので、そこの会社に出向いてやり方を教わったのですが、タワー型ワークステーションとPC-98にそれぞれ拡張ボードを挿入し、そこにはディップスイッチでIPアドレスを指定して接続するというものでした。
 私はUNIXの事は当時全く知らなかったのですが、PC-98にはデバイスドライバをインストール(手動です)して、ファイル転送用のアプリケーションで送受信を行いうというものでした。
 しかしいざ拡張ボードを設定しても、中々接続が上手く出来ません。協力会社の課長もひたすら「トライ・アンド・エラー」を繰り返しながら、一生懸命、英語のマニュアルを片手に作業をしていました。今の様にキャプチャ環境もなければ、詳細ログもそれほど親切な情報が出力されるわけではありません。

 結局、UNIXとパソコン間でファイル転送ができる様になったのは、夜中になってしまい、これを習得して客先でもやるとしたら、至難の技だな、なんて思ったものです。

 とにかくこの当時、パソコン間をネットワークでつなぐにも、社内LANを構築するにも、それなりに大変な事だったんですが。それを劇的に変えたのはWindows95でしたね。Plug & PlayでイーサケーブルつなげばNIC(ネットワークボード)が自動的に認識されて、IPアドレスなどの情報もパソコン画面でちゃっちゃと出来る様になりました。

 ちょっとNETWORK黎明期の思い出の話でした。

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