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村上春樹の終わりと「御用文化人」呼ばわりする幻想のファシズム

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すべての小説家が論理的な思考をすべきとは思いません。しかし、自分とは違う意見の人を「御用文化人」呼ばわりし、レトリックだと批判する村上春樹氏の頭のなかはどうなっているのか?と不思議に思い、あきれました。

http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/09/073000

原発NO!に疑問を持っています - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト via kwout
村上氏は、15万は5千よりはるかに多いと言うのですが、年間死者数5千人と自主的なものを含めた避難数15万人を比べるのは、やってはいけない論理のすり替えです。レトリックというのはもっと巧妙にやるものと思っていましたが、論理的思考ができる人との交流がないのかおかしなことになっています。また比較表を作ったらわかるのですが、過剰に避難することで環境が変わって死期がはやまる関連死を増やしています。東電福一の事故自体は不幸なことで津波対策を怠った政府や電力会社行政、事業主体たる東京電力の責任は大きいのですが、関連死を増やしているのは村上春樹氏のような反原発の文化人です。村上春樹さん、あなたが原発関連死者を増やしている、いわば人殺しの一味なんです。まったく理解されてないようですが。

事象 年間事故死者 居住移動などの影響 補足
日本の自動車交通 5,000人 用地買収移動はあり 4年で死者 2万人
東電福島第一原発事故 事故収束作業で数人 150,000人 避難による環境変化で死が早まった関連死は発生も、がんリスク上昇による死者増加は観測不能なほど小さい

表にしてみると、比べられないもの同士を比べる滑稽な論理展開を村上氏がされていることがよくわかります。交通事故で5千人亡くなるということに比べられるのは、原発事故収束作業で亡くなられた方などごくわずかです。避難したことで寿命を縮めた関連死もまた考えるべきではありますが、これは、15万人という多すぎた避難数が直接的な原因です。そもそも事故がなければ起きなかったことではありますが、これもまた「過ち」であり、「二度と繰り返さない」ことを考え、避難方針を変えることに生かすべきです。村上氏のような反原発の文化人が強い中での見直しは寝た子を起こすような感じがするのかなかなか進まないことが残念です。

それからちなみに、「年間の交通事故死者5000人に比べれば、福島の事故なんてたいしたことないじゃないか」というのは政府や電力会社の息のかかった「御用学者」あるいは「御用文化人」の愛用する常套句です。比べるべきではないものを比べる数字のトリックであり、論理のすり替えです。僕は何度もそれを耳にしてきましたが、耳にするたびにいささか心がさびしくなります。

村上春樹拝

私は村上春樹氏の小説は好きです。「風の歌を聴け」に始まる初期の作品は好きだし、短編「パン屋再襲撃」はとても気に入って、大学時代にクラシック音楽鑑賞サークルでこの本を紹介しながら強制的にワーグナーを聴かせる行為の楽しさと虚しさを考えました。1Q84以降の作品も気に入ってます。ただ、それはそれとして、ファシズムの幻想に取り憑かれ、「御用文化人」とレッテル貼りをしていることにとても悲しくなりました。これは、ソ連や中国での「反革命分子」とかアメリカでの赤狩り時代にあった「共産主義者」というレッテル貼りと同等の行為だと思います。これは、言葉狩りを意図するのではありません。「御用文化人」も政府関連の役員によく登用される人とか、特定テレビ局の意向に沿う意見を述べる人とか、いう文脈においては問題ない言葉だと思います。

ただ、この村上氏の文章においては、論理的な判断が自分と違う人全部をまとめて「御用」とするのは、論理的な思考を妨げる、レッテル貼りだと危険に思う次第です。それも権力側ではなく「文化人」側がやっていることに私は混乱を覚えます。

村上春樹氏は一刻も早く「文化人」という高みから降りて、言論の場で批判への回答を行うか、不用意な文章を撤回して文学の場に戻るかどちらかして欲しいそう願います。このままでは文化人村上春樹だけじゃなく小説家村上春樹も終わってしまいかねないそう危惧しています。

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