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美談でなく失敗:311防災無線での避難呼びかけ殉職

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多くの方が亡くなられた東日本大震災。地震のあった時刻の黙祷に正直私は違和感を感じていました。亡くなられた方のほとんどは津波による被害であり、この揺れた瞬間から安全な場所に逃げる余地があったのに無くなってしまったことを、その地震からの数十分のことを考え死を悼むべきだったのではないかと。

天災はいつやってくるか分かりません。世界でおそらく一番備えがあった東北太平洋岸を中心に東日本で多くの津波死者がでたことに学び生き残った我々はさらに上の備えをし、代々語り継ぐべきだと思います。それなのに、直接的な死者がでていない原子力発電所の事故のことに多くの労力が割かれていることに大いに疑問を感じます。

美談ではなく痛恨の失敗:311防災無線での避難呼びかけ殉職:
いろいろな想いが複雑に絡んでまだ上手くいえないのですが、その失敗の最たるものが、南三陸町での痛ましい防災無線で"高台に逃げて"と呼びかけつつ逃げずに無くなれられた職員の殉職だと思います。

"高台に逃げて"とご本人は逃げずに庁舎にいらして殉職されているのですが、もし、録音音声の自動呼びかけで「今すぐ高台に避難してください、町の職員も先に逃げています。これは録音音声です。」とか言っていればより深刻さが伝わり逃げて助かる人が増えた可能性を感じます。もちろん、そういう自動音声の仕組みが無ければできないことでしょうが、南三陸町に限らず、津波被害が想定される地域ではそういう避難呼びかけの備えをいまからやっておくべきでしょう。

「正常性バイアス」の研究でも言われていることですが、「みんな逃げろ」という本人が逃げた方が、より避難の必要性が伝わるようです。そして、逃げない人がいないなら私も残るという道連れを生みかねません。

私は、逃げる勇気を子供に対する一番の教訓として繰り返し語っているのですけど、こうやって逃げるときは逃げるを教育しておき、いざの事態にはお互い勝手に逃げる、だって逃げるという約束があるのだから、と約束して行動につなげることこそが重要だと思います。

だからこそ、あえて言います。あの殉職を美談にしてはいけません。それが亡くなられたご本人の遺志も継ぐことになる、そう確信しています。

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