アマチュアは自分の工数の大きさで測り、プロは他人の感動で測る
写真の管理について、昨日質問されました。
「写真を趣味にしたいのだけど、管理を考えると時間をかけてしまいそうで躊躇してしまう、写真の整理はどうしていますか?」というものです。
確かに撮るのは楽しいです。でも溜まると面倒です。
溜まると面倒だと思うのは、選ぶのに時間をかけすぎているか、見ても楽しくない写真が溜まっている時ではないでしょうか。
生意気にも昨日の私の答えは、「アマチュアの方は、自分のかけた工数分写真がかわいくなるので、なかなか捨てきれないのですが、プロは客観的にお金になる(人に感動を与える)ものしか残さないので、その習慣が身につけば整理に多くの時間はかからない」というものでした。
といいつつも、日常のスナップはともかく、例えばアラスカに行ったときの写真は、成功作とは言いがたくともなかなか捨てられません。しかもそれは、人に与える感動度合いで迷うのではなく、自分の投じた労力で捨てられなくなるのです。
本当のプロはともかく、中途半端なプロの場合、かけた工数がある程度までは他人の感動で測れるが、それ以上はやはり迷ってしまう、というのが正直なところでしょう。
スティーブ・ジョブズ氏は、そういう意味でも真のプロフェッショナルだったと思います。
彼の容姿は年齢と共に変わってゆき、病魔に犯されてからは明らかにやつれてゆきましたが、その眼力だけは全く変わっていません。
Appleの歴史もジョブス氏の生涯も順風満帆だったわけではありませんが、本当はたいして価値のない1000の提案にノーを言い続け、強烈な意思と明確な理想を持ち、常に世の中にとびきりの感動を与えることのみを追求したからこそ、素晴らしいプロダクトが生まれたのだと思います。
ジョブス氏の爪の垢をいただく権利すら自分にはありませんが、生涯変わらない目の輝きと理想を追い求める姿勢は永遠に追いつけそうにないですが、私のお手本です。
27歳まで全くコンピュータに興味のなかった私が、初めてわくわくしたのはMacintosh Ⅱciでした。
それは私にとって、コンピュータは、無味乾燥の電子計算機ではなく、自分の感覚を拡張する神経になると初めて感じさせるマシンでした。
今、こうしてIT業界にいられるのもMacintoshのおかげです。
心からご冥福をお祈りします。