李昆武、フィリプ・オティエ『チャイニーズ・ライフ』上下巻
李昆武、フィリプ・オティエ『チャイニーズ・ライフ』上下巻(明石書店)
昨年暮れに出版された上下巻700ページに及ぶ大作。ようやく読みました。中国の画家、漫画家である李昆武(1955年生)の自伝で、そのまま「任意の一中国人の中国現代史」になっている。真摯な共産党員だった父のもとで幼少期を「大躍進時代」に過ごし、その失策による大飢饉を経験。やがて文革の嵐の中で紅衛兵となり、学校教育を受けない世代として成長。軍人から「雲南日報」記者・画家となり、毛沢東の死、文革の終了と鄧小平改革の混乱を生き、最後にはマンガの仕事でパリ、アングレーム(アングレーム国際BD祭に参加した「最初の中国人の一人」だとか)を訪れる。周辺の人物たちは経済開放の中でビジネスで成功し、株に心奪われ、子供たちは豊かさの中で成長してゆく。
いやはや、すさまじい怒濤のような自伝で、圧倒的な歴史の現場を見る思いがする。とにかく、最初の1章を読み切ってみてほしい。2章からは、その荒れ狂う波に読者も飲み込まれるだろう。少なくとも僕はそうだった。それが、まさに現在まで続くのだ。僕の親の世代と僕自身が日本で経験した敗戦と高度成長の歴史を一人で経験したようなものだろうか(実際、文革の終了は日本の敗戦に匹敵する国家的な過程だったのではないかと感じる)。
絵は、伝統的な中国の墨による絵のテイストをどこかに残しつつ、現代的なエッジのたった表現を含む。あえて比喩的にいえば、高度消費社会的な洗練をされない泥臭い松本大洋というべきか。また美しい田園風景の中国画的な世界は、ユニークな距離感を作品にもたらしている(知らない人にはわからないと思うが、風景画は、かつて「ガロ」に発表されていた「まんだらけ」社長・古川ますぞう氏の絵をきつくした感じ?)。日本のマンガ読者にはなじみのない絵柄だし、やや重いともいえるが、慣れてくるとガンガン読める。
また、李はフィリップ・オティエと相談しながら作品を描いていくが、とにかく自分が経験した範囲で物語を描くことにこだわり、そのために天安門事件については「1989年6月、私は国境近くの辺境で彫刻を学んでいたんだ。事件のことはメディアで知っただけで、目撃者といえるか? 私は・・・」(下巻p159)とフィリップに語り、この本では(日本や欧米の読者が当然興味をもつだろう)天安門事件については、ほとんど触れていない。その他の部分では、しかし歴史的な事柄が「どこにでもいる、ふつうの中国人」(あの巨大な国で、そういう仮定ができるとして、だけど)の周辺をめぐって描かれてゆく。
文革の終了によって「文革中の苦しみや悩みは きれいさっぱり 忘れ去られたようになりました。 過去の苦しみから抜け出し、 輝かしい未来を我々の手で 作り出すことに集中したのです。」(上巻p275)と語る作者の言葉は、僕には日本の敗戦時の民衆の気分を連想させると同時に、そこから「発展が最優先」という鄧小平の言葉を「最も好きな言葉」(下巻p364)として最後に書き付ける作者の「本音」につながる気がする。それは激しい歴史の流転の中で一中国人が自然に受け入れる「現在」であるように思えるし、そのことをまず日本人や欧米の人間も理解しようと試みるべきではないかと思う。そこからしか市民レベルでの対話は始まらないのではないか、と。
ところで、作者の父も作者も文革の過激化の中で、彼らの出自が地主階級であったことで苦難を余儀なくされるのだが、その山西省の故郷の風景がこれである。
これって、一時話題になった華僑の世界ネットワークを持っている一族の独特な住居では?
ともあれ、ものすごい作品であることは間違いない。読者によって印象も批判も様々だと思うが、一漫画家の率直な自伝=中国現代史としてきわめて興味深い。
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