『へうげもの』18巻,織部J.Bになる
愛読している『へうげもの』18巻「第百九十五席 PLEASE,PLEASE,PLEASE!」の一場面。このあと、織部は羽織を振り払って再びサンシンを弾き、大受け。伊達政宗をして「下らねぇやらせだァ」と嘆かしめる。
これ、知る人ぞ知るジェームス・ブラウンのお得意演出。ステージで命一杯に歌い踊ったJBが、疲れ果てた体でがっくりとマイクスタンドの下にくずおれると、スタッフが派手派手なガウンを彼にかけ、ステージの裾に抱えてつれてゆく。足をひきずりぜぇぜぇしながらよたよたと連れられたJBが、ふいにガウンを振り払い、再びマイクにかけよって歌い続けるという有名な「芸」なんですね。こういうのが大好きなので、これ読んでうれしかったー。「PLEASE,PLEASE,PLEASE!」はもちろんJBの歌。もっともJBは、ギター弾かないと思うけど。
いわずもがな、ではありますが『へうげもの』は面白い。その「面白さ」のひとつは、時代物マンガとしての性格にあると思う。時代物マンガは色々あるが、たいていは戦国や幕末の事件、いくさ、人間関係を描く。『へうげもの』は、その中で思想史を描こうとしているところが異なるというのが僕の見方だ。その点で、やはり歴史物マンガの中で特異な『「坊っちゃん」の時代』に近い。
が、『へうげもの』の語ろうとしている思想史は、また少し違う。戦国武士の派手好き、あたらし物好きの極限としての武士の思想(信長、秀吉)が、戦国に「遅れてきた武士」としての若者達の「傾(かぶ)く」思想(今でいう目立ちたがりの不良文化)になり、それと利休の「わび・さび」が平行し、さらに織部のポップに至る。これが徳川政権中心の地味〜で抑制一辺倒の思想と平行反発しつつ、じつは江戸期を通じて伝わった(のではないか)というような文化史の流れをマンガ化しているように見える。私見では、それが『へうげもの』の思想・文化史的側面である。たんなる歴史物ではなく、織部を通じて文化史の流れをマンガ化しようとしているように、僕には見えるんである。
たまたま、ここ3ヶ月隆慶一郎をまとめ読みしているので、同じ時期、同じ登場人物に出会い、それもまた興趣をましてくれました。両者ともに歴史上の人物をかなり極端に類型化、キャラクター化していて(もちろん娯楽時代劇の王道です)、隆の基礎にしている網野史学も連想して、自由民の思想が『へうげもの』の背景にあったらどうなるだろう、とか思うとわくわくしたり。ただ隆の正邪善悪をきっぱり分けすぎる勧善懲悪は、ややうんざりするので、僕個人は『へうげもの』的史観のほうが好きですけどね。