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夏目房之介の「で?」

『スティッチ あるアーティストの傷の記憶』

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 デイビッド・スモール(藤谷文子訳)『スティッチ あるアーティストの傷の記憶』(青土社)

 面白いです。けっこう厚い本ですが、マンガでもあり、一気に読んでしまいました。絵本作家で有名な人のようですが、彼の自伝で、かなりきつい幼少期の記憶を中心に描かれています。救いがなさそうで、なかなか手が出なかったんですが、読み出したら止まらなかった。それに最後まで読むと「救い」はあります。それを読み取れれば、ということでしょうが。
 このお話を説明したくないのは、初めて読む人にとって、知らないで読んだほうが「本と出会う」経験が新鮮だろうと思うからです。この本は、ある種の人には、深く魂と「出会う」ような経験をさせてくれる種類のものですね。なので、あまり説明はしたくない。
 たとえでいうとすれば、よしながふみが描く、じつは過酷な過去をもつ人物の、彼女がさらりと触れるだけで実際には描かないような種類の過去を克明に描いている、とでもいいましょうか。まあ、これじゃよくわかんないでしょうけども。それに、自伝だから、記憶として「事実」なんですけどね。

 訳者は、「あとがき」で、〈この作品を読んでいただくこと以上に、彼の紹介など私が何を言えるだろうか。なんて思ってしまう。〉〈この本の重要なキーポイントとなっている「声」こそ、我々の心がこの作品に深くダイブしてしまう強い要素の一つなのではないかと思っている。〉〈この本を読み終えた私は、ひどく心を揺さぶられていた。〉と書いている。
 まさに、そういうような本だと思ってもらえればいいでしょう。
 絵は素晴らしいです。入り抜きの美しい線で、サッと描かれ、墨の濃淡でざっくりと陰影がつけられ、ときに現れる比喩的な画像が鮮明な印象を残します。話の過酷さを救う要素が、この絵のどこかにも隠されているのかもしれない。

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