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夏目房之介の「で?」

岩下朋世『少女マンガの表現機構 ひらかれたマンガ表現史と「手塚治虫」』

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http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002266

岩下朋世『少女マンガの表現機構 ひらかれたマンガ表現史と「手塚治虫」』(NTT出版)が出た。
先般のマンガ学会で岩下さんから直接いただいたので、その場でサインをしてもらった。
これは、岩下さんの博士論文『手塚治虫の少女マンガ作品における表現の機構』(2008年)の単行本化である。博士論文については、2009年8月に当ブログで紹介している。内容の大筋においては、それほど修正を必要としないと思う。http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2009/08/post-41a7.html
一般書籍というより、学術本で、値段も3200円+税とかなり高い。が、博士論文よりはるかに読みやすい文章になっており、論文発表後に知られた最新のマンガ論文献などもきちんと参照して書かれている。マンガ研究に携わる人にとっては、現在までの日本のマンガ論言説の整理と俯瞰にも役立つだろうと思う。大量の図版引用も丁寧に文章と対応させており、日本マンガ研究の公刊の現在水準を示している。
こういう本を読むたびに、この国のマンガ批評研究の理論水準が、ますます複雑になってきているのを感じる。先行研究が積み重なり、学術的な世界での問い直しが本格化するにつれ、議論の理論的枠組みの妥当性や、言説史的な相対化、歴史的な射程の拡大、ほかの知的領域との整合性の問題などが引き寄せられ、メタレベルでの議論に重点が置かれるようになってゆくからだろう。議論の抽象度が上がり、報道や一般向け批評の領域からは、次第に見えないものになりがちである。現在の研究領域のひとつの必然でもあるが、そうした事態に研究者も自覚的なのだろうということも感じる。サブタイトルの「ひらかれた」は、伊藤剛が『テヅカ イズ デッド』で使った言葉だが、同時に、この研究領域を狭く閉じたものにしたくないという願望のあらわれでもある。
前のブログでも書いたが、この本のタイトルは、そのまま読めば「少女マンガ」についての論考のように感じられ、おそらくそれだけで手を出さない読者も多くいるだろう。けれど、この本は、そもそも「少女マンガ」とは何か、いや「マンガ」とは何なのか、現在までの日本のマンガ論・マンガ史観が手塚中心になってしまっている事態をどう相対化するか、という問題意識に貫かれている。すっきりと、すべてが見通せるオチにはなっていないが、少なくともマンガ研究の現在時点の諸問題を目に見える形で提起してくれた本である。タイトルに惑わされずに、できるだけ多くの関心ある人たちに読んでもらいたい。

以下、博士論文についてのブログ文章を、若干の注釈つきで再録する。

2009年8月25日 ※=註

 東北大大学院情報科学研究科(※現在は博士課程終了)のマンガ研究者・岩下朋世(ほうせい)氏の2008年度博士論文である。
 ずいぶん前からもらってたのだが、何だかんだでようやく読了したのだ。岩下さん、ごめん。
タイトルからだけだと、手塚の少女マンガの作品論的なものかな、と思うかもしれない。あにはからんや、この論文、これまでのマンガ論を整理し、組み替えて、あらたな地平を開こうと試みる壮大な論文なのだ。正確を期すために、岩下自身の文章で要約する。

〈日本の戦後マンガに関する研究は、範型としての手塚治虫を論じることを通じて体系化していった経緯がある。したがって、手塚治虫に関する研究の中で、体系づけられて論じてこられなかった「手塚治虫の少女マンガ作品」について論じる以上、従来のマンガ研究の理論的枠組みをさまざまなレベルから問い直す必要が生じる[略]そのためには手塚を範型として採用してきたマンガ研究の歴史を相対化する新たな視角を導入する必要性も出てくる。そして、こうしたマンガ研究の理論的、歴史的枠組みの再検討は、マンガのサブジャンルである「少女マンガ」研究の枠組みに関しても再考を促すものとならざるを得ない。〉(岩下 補論「マンガを「学術的」に研究することについて -「マンガ」一般を論じる上での諸問題」(2008)より

 そのために、この長大な博士論文の前半部を使って、岩下は手塚研究に端を発した現在のマンガ研究の背後にあるマンガ観(戦後マンガの手塚起源論)の批判的検討から始め、手塚の少女マンガとくに『リボンの騎士』の少女マンガ起源論にも同様の検討を加え、さらにそれらへの批判的検討であった伊藤剛『テヅカ イズ デッド』を再検討し、そこで提出された「キャラ/キャラクター論」に対し「キャラ図像」「人格」「キャラクター(※今回は「登場人物」としている)」という三項による表現分析を提起する(この三項については今後議論されると思う)。
 それらの成果をもって、岩下はようやく手塚の少女マンガにおける「内面」表現の分析を行い、これまでのジェンダー論、性別越境論による分析視角を広げ、マンガ一般に妥当する〈表現の機構〉を見出し、あらためて手塚マンガにおける少女マンガ表現の意味を問い返すのである。

 これらの再検討に引用されたマンガ論者は、早くは草森紳一、藤川治水、石子順造、中島梓、さらに夏目、竹内オサム、村上知彦、米沢嘉博、大塚英志、藤本由香里、押山美知子、中野晴行、宮本大人、伊藤剛などのほか、海外の研究にも及ぶ。この目配りの広さだけでも、これからマンガ研究を目指す人には指標になるはずのものだ。また、ここで提出されたマンガ論枠組みの再検討と整理は見事なもので、ひじょうに見通しがよくなる。できれば全国のマンガ研究者に共有されてほしいと思う。
 学術論文なので、書き方が厳密で繰り返しも多いが、用語そのものは平易で、厄介な翻訳用語は使われていないので、素人でもちゃんと読めば理解できる。現状、共有される形になっていないのだが、できるだけ早くWEB上にPDFなどで読めるようにしてほしい。そのへん岩下さんは、どうなんだろう。あるいは、どこか出版社が出してくれないだろうか。文章を練る必要はあるだろうし、現在書くとまた違った書き方になるかもしれないが。

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