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夏目房之介の「で?」

忍者ブームと時代小説

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http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2010/10/post-bc5a.html

以前、このブログで忍者マンガと忍者ブームについて触れた。その後、いくつかの忍者小説を読み、一口に忍者小説といっても、作家それぞれで主題や忍者像が微妙に異なり、作家ごとの敗戦体験の違いが反映されているように思った。また、少年小説などでは「忍術」「幻術」「仙術」なども使われていた。果心居士などは「幻術」のようだ。
最近、藤田和敏『〈甲賀忍者〉の実像』という、学術的な記述の(いいかえると読みにくい)本を読んで、「忍術使い」末裔を自称した甲賀の人々が、江戸時代を通じて幕府に貧窮状態の救済を求め、何度も陳情を行い、その中でいわゆる「忍術の巻物」(万川集海)をも提出していたことを知った。これは以前読んだことがあるが、いわゆる「水グモ」だの、はっきりいって内容は相当の眉唾物である。面白かったのは、幕末には彼らは新政府軍に組し、北陸への戦争に参加したものの、思うような報いを得られずに終わったことだった。「忍術使い」の技術が、戦争に有効なほど伝承はされていなかったのかもしれない。そもそも、どの程度そうした技術が実際に存在し、伝承されたか不明である。夢のない話だが、あったとしても戦国時代のゲリラ戦、山伏的な諜報、呪術活動ではなかったか。ただ、実践的な古武道の流派として現在まで続き、海外でも評価される「忍術」を標榜する流派も現実に存在している。それがかつて「忍術」と同じ系統であったかどうかも不明だが、文学の世界では昭和初期に作られたイメージだとされているようだ。

その後、菊池仁『ぼくらの時代には貸本屋があった』を読み、時代小説全般についてやや展望が開けてきた。
貸本屋にはマンガだけがあったかのように、それを知らない若い世代には感じられているようだが、実際は小説、雑誌なども主要な品目としてあり、貸本屋専門のような貸本小説も存在した。客層も、店のある環境によって異なり、住宅街によってはブルーカラーの青年たちばかりではなかった。そうした場合、貸本屋の小説は書店の売れ筋とはまた異なる読まれ方があったようだ。たとえば司馬遼太郎は貸本では不人気だったという。このあたりは、小学生高学年から貸本屋でマンガばかり借りていた僕などには、見えていなかった。菊池は僕より上の世代なので、マンガは早々に卒業していたのである。

よく戦後マンガを支えたのは「団塊の世代」という俗説があるが、以前からこの錯誤は気になっていた。団塊の中心(1945~49年代生まれ)は中学になる頃には、ほとんどマンガを卒業しているはずで、一部が大学生の頃に「マガジン」などに戻ったとしても、主力ではない。中学以降も卒業できなかったのは、僕などの世代、つまり50年頃以降の生まれだったはずだ。

時代小説は、戦前の昭和前期から大衆小説の一ジャンルとして発展し、菊池によるとそこには伝奇的ロマンがあった。戦後、GHQの規制が解け、時代劇ブームがくる。この中で「忍者」が生まれるのである。戦前の「忍術使い」から戦後の「忍者」への変化に、戦後という時代の思想が見られるのは間違いないところだろうが、このことを検証しようとすれば、戦前からの時代小説および少年向け時代劇の流れと、映画での時代劇および「忍術」「忍者」を、それなりにつかまないと全体が見えてこないだろう。誰かちゃんと研究してくれる人はいないだろうかねえ(他人任せの術)。

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