オルタナティブ・ブログ > 夏目房之介の「で?」 >

夏目房之介の「で?」

『ビッグ作家 究極の短編集』(小学館)

»

『ビッグ作家 究極の短編集』(小学館)というシリーズが出ている。
http://www.shogakukan.co.jp/comics/detail/_isbn_9784091850751

手塚治虫、白土三平、石ノ森章太郎、水木しげる、楳図かずお、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、さいとう・たかをなどのラインナップ。「ビッグコミック」創刊(1968年)当時に、創刊編集長・小西湧之助が選んだ「大御所作家」たちの、青年向け短編を集めている。必ずしも「ビッグコミック」掲載作ではないが、この当時、たしかにこれら作家の気合の入った青年向け作品は、僕を含むマンガ青年にとって刺激的なものだったといえる。現在のマンガ・ファンにとっては、歴史的な雰囲気を込みで読み取ると非常に興味深いシリーズになろうかと思う。まさにこれらの作品や連載によって、マンガは小西のいう「中間小説」的な存在になっていったのだと思う。

各巻には、解説やインタビューが入っており、これも面白い。
たとえば、手塚の巻には森晴路(手塚プロ資料室)の作品解説のほか、創刊編集長小西へのインタビューが載っている。手塚は、この頃、虫プロの倒産(73年)の前後で、危機的な時期でもあったが、同時に『ブラックジャック』(73年~)で奇跡的復活をとげる前あたりになる。が、この頃の青年向け短編には、手塚の作家としての力量を感じさせるものが多かった。作家としては、まだまったく死に体ではなく、バリバリ意欲的な現役であった。
また、藤子・F・不二雄は、ちょうど小学館の学年誌に『ドラえもん』を連載開始(69年)する頃から、ビッグコミックに青年向け短編SFを発表し始めた。今では、彼のSF短編の面白さとレベルの高さを疑う人はいないが、当時はかなり新鮮な驚きだった。『ミノタウロスの皿』のカンニバリズムの衝撃は、今も記憶に残っている。
楳図の作家的な幅の広さも、この頃発揮され、ただの恐怖マンガ家ではないと思わせたが、彼の巻では当時の編集者とのやりとりも含めて、興味深いインタビューが掲載されている。

追伸

この作品集を読んでいると、何人もの作家が「今ここ、ではない、もうひとつの世界」の可能性や、それへの欲望を描いているのに気づく。SFでいえばパラレルワールド。しかし、同時に「もう一つの世界もまた、けして望ましいものではないかもしれない」という諦念も感じられる。そこには多分、当時の時代感覚があったのではないかと思ったりする。

Comment(1)