オルタナティブ・ブログ > 夏目房之介の「で?」 >

夏目房之介の「で?」

腰腹による運動と「顎を引き胸を抜く」こと

»

128式始めの部分の自主練習を続けているわけだが、とくに獅子形の動きは、足運びがちょっとおぼえにくい。足のコウハイ歩の順番でおぼえると、たしかに今までとやや異なる、小さくて急な方向転換があるので、まごつくのだ。でも、おぼえてみると、その動きは、じつは足でも手もなく、むしろ腰腹、つまり丹田の動きの方向に沿って手足が導かれるように感じる。丹田の感覚がそろそろ出来てきたのだから、それに従って動くことを覚えなさい、といわれているように感じた。もちろん、まだその感覚が強くない人は、足運びの順番で分節して覚える必要があるだろう。が、ある程度進んでいる人は、おそらく丹田の感覚で動いたほうが、動きの合理性が感得できて覚えやすいように思った。
前々から僕は李先生から「顎を引いて胸を落とせ」と指摘されてきた(僕だけではないが)。じつは、これがうまくできたときに、もっとも丹田の充実が感じられる。そこで最近、ふつうに歩いているときに、「顎を引き胸を抜く」を意識してみることを試みている。そういう癖をつけてみようと思ったのだ。すると上半身の揺れが止まり、腰腹の感覚で歩く感じになる。両手の前後の振れがほとんどなくなる。練習の後は、とくにそうだ。この感覚の上に、さらに腰腹の左右の捩じれの感じがあれば、走圏は充実感をもたらす。身体の軸の感覚と、中心の感得とは、相補う関係にあって、それを捩じれで強化する感じだろうか。あとは、背中の充実(亀の背)があって、全身がつながると、それが大きな力になるのだろう。
でも、128式は攻撃的な動きが多いので、どうしても前に傾き、顎も前に出て、軸が保持できない傾向がある。力の感覚がまだ弱いので、李先生のようなダイナミックな印象を再現しようとすると、いきおいそうなりがちなのだ。その結果、体が部分部分で切断され、かえって通らなくなる。そこを我慢して、軸を保ちながら、力を通す。そういうことを覚えるための練習ということなんだろうな、と思った。僕の個人的な解釈ですが。

Comment(0)