龍の意味
「
双換掌のあと、休憩中に李先生と話した。いつものように「どうだった?」と聴くので、「今まで経験したことのないほど気持ちがよかった」といったら、「そうだろう。見ていてわかった」といわれた。そこで「こういう内部のことを、どうやって教えるんですか?」と聴くと、「どうやって、とかはいえない。それは、ほんの一言とか、何かちょっとした動きを示しただけでも、そのレベルにくると、ぱっとわかって変化するものだ」というようなことをいわれた。たしかに、李先生は双撞掌の腕を指して「もっと大きく」といわれただけだった。
今年は、前半甲状腺の病気でだいぶ後退してしまったが、そのあと始まった講習会では、これまであまりやらなかった単勾式、獅子形、さらにあらためて熊形をやり、そのつどあらたなレベルを感じた。その上で、今回龍形に戻ったのだが、すでにそれ以前の過程で、自分で練習していた龍形も変化していた。腕の伸び、背中のひっぱられる感じ、腰のねじりの充実感など。
それでできてきた体でやった双換掌は、これまでとは違う感覚で、周囲の空間を領する自分の動きが、まるで以前ワークショップで経験したモダンダンスの演技のように心地よいのだ。
それが李先生のいうレベルの「神」へのとば口なのかどうか、僕には判断できない。ただ、李先生のこれまでの指導が的確にレベルアップを保証してくれたという経験則があるだけだ。僕としては、それが勘違いであろうと、思い込みであろうと、あるいは事実何か次のレベルを示すものであろうと、一瞬にせよ、これほど心と体が自在で気持ちいい状態になるものなら、またそれを経験したいと思う。
後半に練習した回身掌は、それほどうまくできなかった。そもそもちゃんと憶えていない。双換掌ほど、それぞれの動きがつながってできない。この動きと、次の動き、という具合に分節してしまうのだ。ただ、最後にくる下勢は気持ちよくできた。キツいのだが、龍の上下の動きを意識すると、とても気持ちいい。双換掌も回身掌も、今までよりキツくできてしまうし、それが正しいと体がいうので、余計しんどいのだが、それと比例して気持ちいいのだ。
李先生が近寄ってきたので、また直されるのかと思ったら、下勢を褒められた。若い人より、ずっとよくできてる、と。ほんと、おだて上手なんだから、李先生ったら。
冗談はともかく、その後、自分で練習してても、ねじりの感覚が強まり、日々進化を感じられる。62歳になって、まだ進化できるって、凄いよなあ、って思う。
そうそう。最近、またいったん体重が減り、今戻りつつあるところだが、どうも体力と体重のバランスが絶妙なようで、信号が変わるのを見て、50メートルほどダッシュで走るのが楽しみになっている。あの、風を切って加速していく感じは、たしかに若い頃感じた爽快感で、とても嬉しい。体重が増えてくと、そうもいかないだろうけど、今のところ、それで心臓がばくばくするようなこともなく、それどころか息もほとんどきれない。いや、馬貴八卦掌、僕にはなくてならない、すばらしいエクササイズです。