やまだ紫『性悪猫』『しんきらり』
身体表象の本棚にある自由に持ち帰れる本の中に、やまだ紫『性悪猫』『しんきらり』(共に小学館 2009年)を見つけ、ずいぶん久しぶりに読んだ。素晴らしい。こんなに凄いマンガだったっけ。いや、若い頃の僕には、これはわからなかったんだろうな、と思った。
『性悪猫』はほぼ70年代末から80年代初頭に描かれた猫たちを主役にした掌編集だが、こんなにも詩的な喩を駆使したレベルの高い作品だったかと感動した。正直、連載時や最初の単行本で読んだ頃(もちろんその頃買って、今もで持っているのだが)の僕には、この作品の透徹した感性のいきかいの切り取り方は、いささか遠いものだったかもしれない。僕はまだ、繊細すぎて壊れそうな世界ではなく、もっと太い大枠のもの、力強い何かを求めて必死だったのかもしれない。むしろ少し苛立ったかもしれないと思う。いまさらながら、こんな作品が登場し、女性マンガのある種の扉を開いた時代を思う。今でも、この作品はもし翻訳されれば、グラフィック・ノヴェルとしてじゅうぶんに世界に伝わる質のものだと思う。翻訳は難しいかもしれないけど。翻訳って、されてるんだろうか?
『しんきらり』は、『性悪猫』ののち、80年代初頭に連載された主婦の立場から、夫婦生活や子供との関係、家族の中で微妙に揺れる女としての主婦の心理を微細に描いた連作。これも、おそらく当時の僕には痛すぎて、できるだけ抑圧しておきたい主題ばかりだ。今でも僕がもし夫をやっていたら、適当に見ないふりをして読まないと、きつい内容だろう。わかってるつもりのことが、実はどんなことかわかってしまう。でも、わかったところで何をいうことも、することもできないような種類の女性の側の問題が描かれていて、そりゃ当時の僕には無理だわ、と思う。今だって無理だが。それほど普遍的なものを含んでいるともいえるかもしれない。
しかし、ほんとにこの時代から女性はマンガで本質的な「何か」を表現し始めていたんだな、というあらためて思う。興味のある方はぜひ読んでみてほしいなと思う本です。
やまだ紫さんは、2009年に急逝されている。