PICTURE NOVEL"IT RHYMES WITH LUST"
ライアンさんが客員研究員としての期限を終えたとき、プレゼントしてもらったのが、この本。
http://books.rakuten.co.jp/rb/It-Rhymes-with-Lust-An-Original-Picture-Novel-Drake-Waller-9781593077280/item/6691452/
僕の英語力だと全部詳しくはわからないが、そこはマンガ。大体のところはわかるし、面白い。お話は、いかにもハードボイルド系ミステリーみたいな奴だし。
ある街の権力者の死亡記事に始まり、その街にジャーナリストの青年がやってくる。その元カノで、いまや権力者の後妻である色っぽい美人RUST(この名前がタイトルの所以)に呼ばれた彼は、権力者に批判的な新聞の編集長に送り込まれる。彼女は典型的な野心的悪女で、元カレを操って、この街を完全に支配化に置こうとしている。街のほかの有力者(中には怪しげな連中も)を着々と支配下におき、ヤクザの親分の排除を青年に手伝わせたりするのだが、彼は彼で権力者の前妻の娘で、正義感のあるこれまた美人の女性と恋に落ちる。かくして、権力者の基盤である鉱山をめぐって、青年は二人の女性を巡ってふらふらし、事態は次第に風雲急を告げるという次第。
もともとは1949年に刊行されたコミックスならぬ「ピクチャー・ノベル」で、コミックスを離脱して行こうとする試みのひとつだったとおぼしい。あきらかにやや大人向けな雰囲気で、それはカッコいい表紙にもあらわれている(この表紙絵は以前紹介した『有害コミック撲滅! アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』にも紹介されていた)。本自体は、ダークホース社による復刻版。お話は絵物語的に絵の横に長めに書かれ、セリフとは別。絵は、白黒でおとなしめの、誇張の少ない絵。コマ内の中心人物の実線に対して、ちょっと背後や遠くの背景などは、白いドットのスクリーントーンか何かでボカそうとしているところが面白い。
パルプマガジン小説の影響を感じたので、試みにダシール・ハメット『血の収穫』を読んでみたら、ドンピシャ。鉱山街の権力者が、鉱山労働者運動を抑えるためにやとったヤクザ連中とのしがらみの中で、息子を新聞社の社長に置く。息子が呼んだ探偵が来たときには息子は殺されていて、探偵がヤクザ同士の仲間割れを演出して街の大掃除を行うストーリー。先のマンガと設定はそっくり。ひょっとして他にも元ネタがあるかもしれない。
おそらくは犯罪映画も影響しているだろうし、そういう意味では辰巳ヨシヒロらの「劇画」と似た背景をもつ「青年化」の試みだったのだろうと思わせる。
解説もついているが、まだちゃんとは読んでいない(でも、テプフェールにも触れている)。マンガ史的に非常に興味深い作品である。他にもこうしたのがあるんだろうか。
追伸
作者のひとりArnold Drakeの「あとがき The Graphic Novel - and How It Grew」について
いくつか興味をひいた点を列挙してみる。
・1949年、私(Arnold Drake)とLeslie Wallerは、第二次大戦後のGI人権支援プログラムで、毎週20ドルを支給され、学校に通っていたが、その費用の足しにと、コミックを書くことにした。いつか映画の脚本を書くための練習になればと思ったのだ。
・当時、毎月1000万冊のコミックスがGIたちに読まれていた。彼らは教科書よりコミックスを読んでいただろうし、ならばより大人っぽいプロット、キャラクター、セリフによって、コミックスと活字本の間に橋をかけられないかと思った。それを僕らは「ピクチャー・ノベル」と呼んだわけだ。
・たしかに30年代半ばにはコミックスはブームだったが、49年頃、SF、スーパーヒーロー、戦争物は、子供向けの一過性のものと思われていた。どんな成功も、コミック原産国であるアメリカの人々の語学力不足の証明だとみられていたのだ。
・そもそも言葉と絵のどちらが先かなんて、鶏と卵である。洞窟画を描いた人たちだって、様々な感情を声に出して示していただろう。
・絵に文字が添えられた表現は、たとえばベンジャミン・フランクリンのように政治的な手段になったが、19世紀には純粋な娯楽=説話を語る連続マンガとして印刷され、1842年にはテプフェールの「The Adventures of Mr. Obadiah Oldbuck」がNY新聞に載った。「イエローキッド」の半世紀前だ。
・文字を加えた絵の形式は発展し、セリフはキャラクターを説明し、プロットや人物はさらに複雑になった。
・大不況の中でもコミック・ストリップは発展し、連載の再版ではない、オリジナルの単行本には自由さがあった。
・ミルト・グロッスのオリジナル単行本はサイレント・マンガだが、これはグラフィック・ノベルとは呼べない。
・私たちは、この形式には限界がないと考えていた。読者も、その発展につれて成長する。それは私たちの思っていた以上だった。