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夏目房之介の「で?」

斉藤次郎『共犯の回路』(73年)

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斉藤次郎『共犯の回路 ロック×劇画 可能性のコミュニケーション』(ブロンズ社 73年)。先日来書いているアメコミのDVDや『底辺絵巻の画工たち』などと一緒にアマゾンで購入した。

いやはや、当時のマンガ言説の特色を色濃く見せていて、読んでおくべき本だった。斉藤次郎は、COM誌でのマンガ評や「まんがコミュニケーション」紙(斉藤の主催したミニコミ)で知ってはいたし、読んでもいたが、当時それほど興味を持たなかった。が、じつは後の「私語り」マンガ論(村上知彦、米澤義博ら)に大きな影響を与えているはずだ。何度も出てくる〈・・・・と僕は思う。〉という言い回しなど、村上春樹も含めて影響があるんじゃなかろうか(もちろん他に先行例があるかもしれない)。

この本は、斉藤が70~72年に書いた批評文を集めたもので、ロックとマンガ(劇画)をおもに対象にしている。収められた文章のタイトルをざっと見るだけで、時代を感じる。たとえば、「ロックはバリケードをめざす!」(ロック集会にコミューン的な共同性を指向する)、「夜汽車のブルース -遠藤賢司論」、「〈場〉をつくる想像力」、「漫画原論 -大衆文化としての漫画」、「真崎・守の闇(瞼学序説・2)」、「〈悪〉への志 -ジョージ秋山論」、「ギャグの社会学 -赤塚不二夫論」、「俗悪とその誇り -宮谷一彦論」、「水野英子の変身と偏心」(『ファイアー』を巡る水野との対談)など。真崎守は、本人の「あとがき」とは別に解説のような文章を収めている(この文章で、真崎は斉藤に複数の人間像を見ており、彼の複眼的な(ポストモダン的な?)世界観を示している)。

冒頭の「言葉」への不信、「近代合理主義」へのカウンター志向、商業主義ではないロック空間への渇望など、当時の若者の思想的雰囲気を伝えてくれる。斉藤は1939年生まれで、いわばガロ系「漫画主義」誌系と同じ世代にあたり、僕や村上、米澤世代よりほぼ10年上である。彼の発言が村上らに影響するのは、むしろ自然かもしれない。「場」や「ぼくら」への執着を、斉藤ははっきりと宣言している。「あとがき」で彼は、〈ぼくの文章のほとんどすべては〈ぼくたち〉が主語です。〉と書き、まだ見ぬ読者との共同性(共犯関係?)を指向すると書いている。つまり、マンガ(劇画)が、ロックやその他のカウンター・カルチャーと接合しながら、「若者」と呼ばれた受容集団(僕を含めた世代)の、少なくとも一部の共同性の紐帯となったとき、彼の言説が重要な役割を果たした可能性はある。「あとがき」にある、マンガやロックの現状への失望もまた、共有されたかもしれない。

「大衆文化」としてのマンガを語る彼は〈大衆文化状況とは大衆食堂の大衆概念をこえる状況である。反インテリ、反上層の通俗的文化と固有に結合する庶民としての大衆から、あらゆる文化、あらゆるメッセージと接触する圧倒的多数派としての大衆に、大衆概念そのものが変貌した。〉(138p)と書いている。曖昧な表現だが、それまで知的、上層的とされた文化(そもそも、それこそが使われ始めたときの「文化」の対象だったはずだ)と、大衆と呼ばれた非知的で下層的な文化の中間項が多く生まれ、大衆社会の拡大と中間層化の中で越境してゆく様を描いている。ただ、斉藤も、のちの「私語り」言説も、そこに世界を変革する可能性を見て、それらを選別して商業主義と対立させようとしていた。いわば幻想のコミューン構想だったといえる。あらかじめ挫折を用意されていたとも、今ならいえるだろう。

斉藤は、「ぼく」の主観、独断と偏見に自己証明の可能性を見出しながら、同時にそれが「ぼくら」という共同性を獲得し、資本制社会とは別の共同体を夢見た、といえるかもしれない。が、斉藤だけではなく、当時の多くの若者もまたそうであったはずで、僕自身もそうだった。そのとき、マンガもロックも、ともに大量生産し流通する複製文化であるにもかかわらず、個人の「手ざわり」的な感覚を持っているとして、「ぼくら」のものになる。
〈漫画は原稿の線をそのまま複製することによって、作家の個性的な画法やニュアンスを忠実に読者に伝えることができる。読者は、自分が描く漫画と同じ地平で、漫画家の作品を受け止めるのである。〉(141p)
この感覚は、そのまま米澤やコミケ初期のアマチュアリズムに継承されているのではないか。斉藤の大衆概念は、大衆=マスであると同時に個的=私的な存在である。
〈高度に発達した資本主義における〈解体された市民〉を意味している。それは階級概念とは別に、むしろ近代的個人の疎外形態として理解される。〉(137p)
つまり、庶民が消費大衆化し、さらに中間層化し、その間隙の軋轢の表明として読める。

また鶴見俊輔などの先行世代のマンガ言説の影はほとんど見られず、またロックでは洋楽に触れているにもかかわらず、海外コミックへの言及はない。ひたすらに、当時のマンガを「ぼくら」の先端的な共同性として囲い込む指向に彩られている。こうした認識の枠組みは、70年代後半期に成立する「私語り」マンガ言説の鋳型といってもいい。マンガ言説史の上で貴重な資料といえるだろう。

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