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夏目房之介の「で?」

『底辺絵巻の画工たち ★劇画家★』1972年

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『底辺絵巻の画工たち ★劇画家★』(1972年 産報)は「ウラコミ・シリーズ5 共同報告・情報キャンパスV」として出された、かなり早い時期のマンガ(ここではおもに「劇画」)界の取材記事単行本で、著者名がない。すがやみつるさんのブログによると「当時、石森プロにも顔を出していた週刊誌の記者たちが匿名で書いた本」だそうで、すがやさんも取材を受けたとあります。すがやさんは「間違いが多かった」としていますが、たしかに相当怪しい情報が多く、明らかな間違いや、どこかでねつ造されたような話も多いので、事実の資料としてはあまり信用できません。

関連すがやブログ
http://sugaya.otaden.jp/e73074.html
http://sugaya.otaden.jp/e8262.html

僕は、少しあとにこの本の存在を知ったはずですが、タイトルに反感を持ったこともあって(何しろ当時は青きマンガ青年でしたから)買わず、今まで読んでませんでした。先日、川崎市市民ミュージアムの書庫を見学させていただいたときちら見して、これは入手せねばなるまいと購入しました。

ここで書かれている話は、まだ「劇画」が全盛といってもいい時期に、マスコミ的な言説として扱われたマンガのイメージが生々しく描写されていて、その意味では一級資料です。たとえば、マガジン内田編集長、梶原一騎が夜空を見上げて『巨人の星』のタイトルを決めるくだりなど、のちの「伝説」を形成する初期の資料といえます。案外、この本が元でできあがった神話伝説の類も多いかもしれません。

また、この本では週刊誌記事的な観点らしく、当時の原稿料などが具体的に取り上げられ、清水勲さんの『[日本]漫画の事典』(三省堂 1985年)でも参照されています。僕がマンガ家の原稿料の変遷について書いたときは、清水さんの本から孫引きで参照させてもらいました(「マンガ家はもうかるのか? 原稿料の変遷」 夏目『マンガは今どうなっておるのか?』メディアセレクト 2005年)。

もう一つ、本書では、後年問題になるマンガ家専属制の問題点などが、すでに指摘されています。プロダクションによる集団制作制度が産業化の一方で成立し、二次使用料などの発生が大規模におこり、これ以降90年代半ばまでマンガ出版は右肩上がりを続けますが、その一方で現場の低賃金が将来を危ぶませるという観点は、アニメ業界同様の問題として、ずっとのちに一般に語られ始めます。この本では、すでにアニメ業界でのその問題が語られていて、片方で同様に厳しいマンガ家の現状はハングリー・アートとして強調されています。「劇画」とは、そのようなハングリーな文化として受け取られていたのです。マンガ産業の下請け的構造の成立過程が、その渦中で書かれているともいえます。
「集団就職の中卒の店員や大学浪人のグループと、安保敗退の学生グループには共通の体質がある。/それは「敗北感」、あるいは学生たちが好んで使う「挫折」という点である。」という記述など、当時のカウンター・カルチャーとしてのマンガ(劇画)のイメージをあぶり出すもので、時代の雰囲気を伝えています。また、「敗北」や「挫折」という言葉そのものの背後に、時代的な感覚が、それぞれでズレを持ちながらも、たしかにあったとすれば、戦後の急速な社会変動の中で起きた「マンガの青年化」のある側面をすくいとっているともいえるかもしれません。

最近、『ブラックジャックによろしく』の佐藤秀峰さんが『漫画貧乏』(PHP)という自伝的なマンガの制作現場の話を書かれました。今読んでいるところで、あらためてこの本についても書くつもりですが、彼が突こうとしている問題は、じつはすでに40年前からあったのだろうと思います。「ハングリー」を恒常的な制度にしてしまったのがマンガ出版だったのかもしれない。
『漫画貧乏』は、マンガ関係、とくに出版社系の人も謙虚に読むべき本だと思います。

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