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夏目房之介の「で?」

ボストン美術館展

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「ボストン美術館 日本美術の至宝」展に行ってきた。
いやあああ、素晴らしかったなあ。眼福。点数も、それほど多くなく、ちょうどいい。
http://www.boston-nippon.jp/

中でも圧巻は、絵巻物と曽我蕭白。
「吉備大臣入唐絵巻」(12C.)は、幻想冒険コメディである。吉備真備が唐にわたり、役人の様々なイジワルに会いながら、先に唐に行っていた阿倍仲麻呂の幽霊に助けられたりしながら、超能力で次々難問を解決してゆく。問題を盗み聞きしたり(この様子が、あきらかに「かわいい」!)、碁の対決を幽霊に助けられたり、面白おかしい展開がじつに楽しい。場面の要所要所に同じ建物が出て話を構成したり、冠についた耳みたいなのがそれぞれ表情を出していたり、顔の表情がじつにおかしみがあったりして、飽きない。
「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」(13C.)は、「伴大納言」同様の迫力あるドキュメンタリーなスペクタクル事件簿。立ち騒ぐ人々と、全速力で殺到する牛車の群れ。焼き討ちで燃え上がる屋敷。牛車の車輪は、ぐるぐると描かれた動線で速力をあらわし、その下に押しつぶされる人も描かれる。ハリウッドのパニック映画超大作みたいな迫力は、順に絵を追っていくと感じられる。絵巻というメディアが可能にした奔放な運動性を堪能できる。

蕭白(18C.)も凄い。一体、この奇矯な造型感覚はどうだろう。禅画のような、ドボッと野太い筆線はいかに。表情のおどろさ、切り立つ崖の突拍子もない描きよう、雷のようなガキガキした曲線の反美学的なえぐさ。何よりも、最後の最後に出てくる巨大な竜の屏風。残念ながら胴の部分が失われているが、それでも圧倒されてため息しか出ない。こればっかりは実物に出会わないと得られない感興である。印刷物では、無理。いやあ、驚いたなあ。

他に、彫像では康俊作「僧形八幡神坐像」(14C.)がよかった。神像だが、おそらくは実在の人物を彫っているのではないか。左右の目の高さが違っており、実際の人間の生々しさが強い。まるで、そこに生きて座しているように感じる。神仏の像は、たいていどこか浮世離れしているのだが、この人物には現前性がある。以前、快慶だったかが彫った父運慶の像にも同じ印象を受けた。

「邸内遊楽図屏風」(17C.)も、ほんとに楽しそうで好きだ。でも、さすがに全部を細かく見てゆく余裕がない。残念。小さい人物の一人一人に表情があり、装いや動作の楽しさがある。

というわけで、どうしても二つの絵巻物のレプリカがほしくなり、図録を売っていた売り場で探したら、実物大の超お高いものがあった。そりゃほしいけど、さすがに十万超えるとなあ。で、そこのスタッフの男性に、小さなレプリカはないか、と聞いたら、うるさそうに「ございません」という。念のため、本館のミュージアムショップにないかと聞いたら、そっぽを向いて「ございません」。ちょっとムカッとした。買いそうもない奴は客じゃないんだろうな。で、本館のショップに行ったら、白黒版だけど、ちゃんと二つともあったんだよね。これも安くはないが、購入しました。レプリカでも、自分の手でスクロールして読むと、絵巻というメディアの生き生きした面白さを感じることができるのだ。とはいえ、カラーのものも作ってほしいのだあ。

しかし、うちのゼミ生で、美術史出身の人以外、あまり興味を持ってなかったみたいだけど、もったいないよなあ。

てなことを少し思いつつ、ひさびさに美術館でゆったりとした時間を過ごし、幸せな気分で外に出て、懐かしい鶯団子でお茶して帰ったのである。

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