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夏目房之介の「で?」

宮本ブログと戦後言説史の転回点

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宮本大人氏のブログ「ミヤモメモ」3月17日に、米澤記念館で行われた「斉藤次郎、真崎守(峠あかね) 「COM」のコミュニケーション」というイベントの報告がありました。僕は行けなかったのだけど、行けばよかった。戦後マンガ言説史にとって、非常に興味深いことが語られたようです。
http://d.hatena.ne.jp/hrhtm1970/20120317

中で語られている「まんがコミュニケーション」という批評紙は、当時僕も一マンガ青年として知っており、今も2部ほど持っています。当時のマンガ青年をひきつける言説の可能性を持った「場」の雰囲気をかもしだしているメディアです。

報告には、当時ロックという音楽の場とマンガを語る場が隣接していたことが語られ、「同時代の若者文化」の中の、のちに別物のように語られるジャンルの混交した「場」の問題が提起されています。これは、今後の研究にとっても、とても重要な観点です。僕や、うちの学生たちも、そのあたりを意識しています。マンガ、ロックや歌謡曲、アングラ演劇、イラストレーション、SFなどの小説、植草甚一の文章など、様々なジャンルの交錯がたしかにありました。

また、同じように「マンガをマンガとして語る」ことを目指していたはずの、ガロ系「漫画主義」が真崎守氏を批判し、互いに反発していた状況も重要な時代の曲がり角を示すように思えます。やがて米澤氏とともにコミケを始める霜月氏も自著で「漫画主義」系への違和感を語っていましたが、このあたりでマンガ言説が石子系、ガロ系を排除してゆくことになるのだと思われます。エロ劇画ムーブメントの亀和田氏も同様に「漫画主義」系に批判的でした。記憶のかぎりで、僕もそんな感じだったと思います。
僕は自分たちの求める理想の「マンガ像」で、マンガやマンガ言説など多くのものを排斥してゆく傾向にも違和感があり、「漫画主義」系にはイデオロギー的狭量さを感じました。同時に、その意味でも「ぼくらのマンガ」という言い方や、亀和田氏らの過激な言上げにも同調できませんでした。でも、村上氏や同世代言説の登場には強い共感をおぼえていました。このあたりの心理的な揺れは、正確に書くのが難しく、僕もまた同様のイデオロギー的な混沌の中にいて、実感があるが、なかなか整理して語れないところです。

でも、このあたりのからまった糸玉のような混沌に、たしかに時代の変わる状況が存在していたのだと思います。ここをある程度整理しておかないと(完全には無理でしょうが)、大きな誤解を含み、見えないものを隠した言説史になりかねないとい感じています。

ところで、宮本氏が参照している竹熊氏のブログも、とても充実していて興味深いものです。

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_2d61.html

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_8a02.html

かなり前に書かれていますが、当時読んだかどうか記憶がない。ひょっとして、まだ言説史的な整理に興味を持っていなかったからかもしれません。あらためて、参考にしたいと思います。

とりあえず、ご報告。

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