「からだの文化」発表レジュメ「マンガにおける修行身体イメージの伝承」
学習院大学身体表象文化学コース「からだの文化」2010.7.17研究発表Ⅰ
「マンガにおける修行身体イメージの伝承 少年青年マンガを中心に」レジュメ 夏目房之介
1)戦前マンガの修行と身体
●伝説的修行像と「死なない身体」 大正~昭和前期
戦前子供マンガの「修行」 田河水泡「天狗の巻物」(1)[図1] 神的人物と巻物(巻物所持=魔法的超能力)
修行と巻物〈そのほかのことは この巻物の中をよめば たいていのことができる〉宮尾しげを『孫悟空』(2) [図2] 講談~立川(たつかわ)文庫~講談社の系譜 戦前マンガの死なない身体 田河水泡『神州櫻之助』(3)[図3] 漫画映画における「死なない身体」「ゴム人間」=魔法的身体 二次元平面に描かれた線の自在さ(空間の見かけ)
●身体図像表現の両極(二項)
A)「記号的」「デフォルメ」→社会的に共有される類型化された画像としての背景と人物像の統合配置
B)「リアリズム」「写実」→場合により数学的遠近法/物理自然空間内に、視覚像に類似した造形の人物を配する
B)はとくに欧州で歴史的に成立し基準化した。A)は伝統図像→子供向け図像の特徴とされる
A)には、伝統図像の宗教的象徴表現も含まれ、マンガにも継承されている
●修行の宗教的精神性 戦前少年小説の武道観 精神性の強調→戦後武道物などへの継承〈刀を拾うて、家へ戻れ――今後は、敵を刀で斬らうと思うなよ――心で斬れ!〉三上於莵吉『劒聖千葉周作と英雄坂本龍馬』(4)
2)戦後少年マンガへの継承
●戦前・戦中~戦後マンガの「身体」をめぐる議論
大塚英志「傷つき死にゆく身体」 ディズニー的な「記号的身体」(A)が手塚の戦中体験によって「傷つき死にゆく身体」を獲得し、「内面」の発見に至る→「リアリズム」と記号表現の両立(A/B)→戦後マンガの成立(5) [図4]
宮本大人『のらくろ』「傷つく身体」の先行 戦争期の身体像の変容 (6)[図5~6]
「児童読物改善ニ関スル内務省指示要綱」1938(S13)年 [図3]的荒唐無稽の抑圧、科学自然観察啓蒙の推進
●占領終結と武道マンガの復活 50年代
『サザエさん』(1946~74)など生活愉快マンガ、『ふしぎな国のプッチャー』(1946~49)、手塚などSF未来物、『バット君』(1948~49)など明朗野球マンガから、福井英一『イガグリくん』(1952~54)などへ
〈GHQは、軍国主義につながるとして当初、武士道など封建的要素の表現に目をひからせた。歌舞伎の忠義物、仇討ち物も禁止され、具体的に禁止されなくてもチャンバラ物や英雄的戦記物などは、占領初期の時代的雰囲気のなかでは抑圧されていたのである。が、徐々に映画や子どもマンガなどの世界で時代劇が復活していく。〉(7)
修行像を抑圧された明朗な身体→武道的身体像の復権 軍事、武道身体抑圧→スポーツ、SF身体→武道復活
●死なない身体と精神性の継承 空飛ぶ忍者 原作・檀一雄、え・大野きよし『さるとび佐助』(8)[ 図7]
精神主義 武内つなよし『赤銅鈴之助』(9)[図8] 「剣と心」を読み、武道の「心の修行」に気付く鈴之助
●スポーツ的身体の「練習」イメージ
『バットくん』の草野球練習、月刊誌マンガなどの野球、相撲、プロレスなどの練習場面はあった
福井英一『イガグリくん』(10)[図9~10] 傷つくが死なない 「練習場面」という記号表現
●武道的身体/「必殺技」とスポーツマンガの合流 50年代末
武道と野球の野合 貝塚ひろし『くりくり投手』(11)[図11] 「魔球」の元祖「ドロッカーブ」 〈一言でいってしまうなら、魔球の誕生によって、野球は格闘技の構造を獲得したのである。〉〈ボールが二つに見える荒波中の宮本武蔵のタマタマボール、片腕のない少年丹下右膳の繰り出す居合い投げ、岩流中学の佐々木小次郎のつばめ打ち打法〉(12) アメリカ文化的戦後スポーツ=野球/戦前少年文化への回帰 2大娯楽主題の合体 武道/スポーツ身体
3)白土忍法の登場と忍法野球
●「傷つき死にゆく身体」(A→Bへの傾斜)としての「劇画」(註1)表現の登場 50年代末
忍法体技修行 白土三平『名張忍法塾』 (13)[図12~13] 「心の修行」の否定〈剣法とは人を殺す方法だとわしはおもっていたがちがうかな?〉白土三平『忍者武芸帳影丸伝』(14) 武士道批判としての忍法 主要人物の多くが「死ぬ」 手塚的成長物語継承+Bに近づく、より「リアル」な身体像へ 武道の自己欺瞞批判/「リアリズム」としての忍法→魔法身体の合理化 技の解説「休憩室 疾風剣について」〈疾風剣は太刀を水平にかまえ敵の太刀を・・・・はらいあげながらそのまま敵の咽喉又は眉間を割るのであり〉〈いいかえれば受けと打ちが一動作ですむ〉(15)=修行身体像の変容 「分身の術」(高速移動による残像) 多数に見える二羽のシジュウカラ→サスケの父大猿の言〈半秒と同じ場所にとどまらず左へ移動したと見せて逆へ移り[略]四方八方へあらわれては消える〉白土三平『サスケ』(16)[図14]
修行場面 マンガ的異時同図 自然観察的体技の強調〈私の術は[略]動植物の生態的なものや物理的なものからの発想にかたよっている風が見うけられる。[略]つまり心理的術の欠如が、白土忍法の未熟さであり、欠陥ということになる。〉白土「あとがき」(17) 自然/人間の関係への思想(自然哲学/社会科学) 戦中科学自然観察啓蒙主義の影響? 身体修行の目的変更=「心」の否定→技術的達成へ(立身出世主義の相対化?)
●忍法×野球=魔球×修行
劇画的「リアリズム」(虚構)による疑似身体→超越的体技としての忍法=魔球(疑似魔法
「分身の術」→『ちかいの魔球』(18) [図15] 球が複数に見える魔球 高速度撮影による分析=科学合理性の付加
仙人的魔球コーチ[図16] 過酷な投球→一試合3球までの制限(身体能力の限界) 忍者による野球 福本和也/一峰大二『黒い秘密兵器』(19)[図17] 「忍者の野球はフェアか?」問題→魔法性/体技性の対立 修行身体の娯楽化へ
4)スポ根的身体修行
●修行身体娯楽化の完成 思春期読者の成長課題 身体修行の自己目的化
梶原一騎と劇画による戦前少年小説世界の復権と過激な精神主義 白土的「心」の否定→技術/精神主義身体
「大リーグボール養成ギプス」 梶原一騎/川崎のぼる『巨人の星』(20)[図18] 身体的負荷の強さ=見えない情念の具現化 抑圧の娯楽化 格闘技の解説 高森朝雄(梶原一騎)/ちばてつや『あしたのジョー』(21)[図19] 荒ぶる身体(=情念)の順致(対抗文化 超越的修行場 梶原一騎/辻なおき『タイガーマスク』(22) 「虎の穴」 梶原的「実話」手法の詐術 部分的な「事実」(実在人物)と全体的な「嘘」 梶原的身体修行 梶原一騎/つのだじろう(のち影丸譲也)『空手バカ一代』(23)[図20~21] 求道的精神主義の画像化 身体(力)=精神(力)の図式 虚構化された身体と「実話」的影響力 身体/情念の復権=戦後少年マンガの思春期、青年化 若者対抗文化との合流
●劇画的「身体の復権」 マンガの青年化=青年劇画の思想 理念(否定)的身体像 理想の終焉
宮谷一彦『肉弾時代』(24)[図22] 近代合理主義、思想言語への不信→感性、情念 対抗文化/「身体の復権」
●少女マンガへの波及とスポ根の終焉
少女マンガ版スポ根と精神主義『サインはV』(1968~?)、『エースをねらえ!』(1973~80)など
バレエ的身体の確立 山岸凉子『アラベスク』(1971~75)「リアル」なバレエ訓練と身体像
水島新司~ちばあきお~あだち充野球マンガによる「スポ根」の相対化と「ラブコメ」化 恋愛する性的身体へ
5)空虚な修行と身体能力のインフレ
●相対化された精神(情念)の身体化(過激修行)が娯楽マンガ的記号(仮想身体)として消費される
パロディ 江口寿史『すすめ!!パイレーツ』(25)[図23] 修行の消失 車田正美『リングにかけろ』(26) ボクシング物→セリフのみで修行と必殺技を示唆 不死身の復活? 鳥山明『ドラゴンボール』(27)[図24] 「死なない身体」 悟りと修行 何も考えない身体=「無垢」の強さ[図25]→「気」の投げ合いによる空中戦へ[図26] 「強さ」のインフレ〈「強さ」を証明するために『DB』[ドラゴンボール・引用者註]はペンギン村[鳥山明『Dr.スランプ』]から失楽園し、人は死ぬようになった。でも、そこにはまさにドラゴンボールがあった。[略]死んだ主人公も、味方も、敵でさえも生き返り、おまけにそのたびに強くなり、前の敵は味方陣営に入る。[略]世界のリセットとバージョンアップを同時におこなえる。[略 ドラゴンボールを作った]神様そのものが敵のレベルアップ同様の構造で反復再生産する。〉(28)
「敵と後見人の増殖反復モデル図」[図27] マンガ的「死なない身体」を「傷つく身体」に底上げし、「傷つき、死ぬ」事態そのものを繰り返し消費することで「強さ」表現のハイパーインフレ=バブル的消費に向かうジャンプ的バトル路線 「いくらでも修行できる身体」の仮想空間 バブル時代の空虚さ? 「虚構の時代」
6)90年代以後
●「現実」もまた虚構化し、仮想空間との境界が曖昧になった時代の身体と「現実」への欲求
「リアル」な身体 夢枕獏/谷口ジロー『餓狼伝』(29)[図28~29] 梶原的情念の奥行きを失った空しい「現実」 架空としても「理想」を失った時代 戦いの自己目的化→盲目的な技術向上 B)写実的描写
浸食された身体 山口貴由『覚悟のススメ』(30)[図30~31] SF身体=ロボット~アーマー的拡張身体の身体内部への取り込み(痛みの感覚と異物感) おたく感覚の性的虚構身体+言葉の「強さ」 共同性に浸食された隠喩的身体
内面化する身体 (吉川英治)/井上雄彦『バカボンド』(31)[図32] 身体内部を「聞く」修行 B)写実的身体に内向する言葉(内感覚のリアリティ) 内面化する「強さ」の隠喩? 『空手バカ一代』と吉川『武蔵』
オーラの身体 板垣恵介『バキ』(32)[図33~34] オーラの視覚化される仮想空間 →「強さ」概念の様々な画像的喩
〈図2は、読者が「視点キャラから距離を取って、客観的に突き放して見る」ような〈異化〉の感覚も同時にうながすでしょう。このような〈同化〉と共に〈異化〉を伴う体験を、日本の文学論では〈共体験〉と呼びます。〉(33)(註2) 手前「視点キャラ」の衝撃で脳が揺れた状態の画像化 読者が登場人物に移入(同化)し空間の歪みを体験する場面 脳内現象、心的現象としての身体の画像化と共有 内的(対自)、外的(対他)身体を同平面に描く 世界=脳
他我を繋ぐ(格闘技)体験の共有願望
●梶原的「最強」伝説→異種格闘技→K-1格闘技ブーム 内向する精神と世界現実の直接対峙=「セカイ系」の想像力
個の自然基盤としての身体(痛み)と世界/現実を貫通させたい欲求?
●図像表現理解の三項化 隠喩、象徴などのレベル イメージや概念相互の関係で連合を形成
| | ↑抽象度上がる
A)記号的 ― B)写実的
(1) 『漫画の罐詰』大日本雄辯会講談社1930(S5)年刊 [図1]同上203p
(2) 「少年倶楽部」大日本雄辯会講談社1925(T15)年7~8月連載 [図2]1939(S14)年大日本雄弁会講談社単行本を底本とした講談社漫画文庫版(1977年)15p
(3) 「少年倶楽部」)1933(S8)年10月号 [図3]講談社復刻愛蔵版第4集1976年同号39p
(4) 「少年倶楽部」1933(S8)年10月号 同上71p
(5) 大塚英志『アトムの命題 手塚治虫と戦後まんがの主題』徳間書店2003年刊、『映画式まんが家入門』アスキー新書2010年刊他参照 [図4] 手塚治虫(戦争末期の習作)「勝利の日まで」『手塚治虫 過去と未来のイメージ展 別冊図録 幽霊男/勝利の日まで』手塚プロダクション1995年226p
(6) 宮本大人「ある犬の半生 -『のらくろ』と〈戦争〉-」 「マンガ研究」vol.2日本マンガ学会 2002年所収 [図5~6] 田河水泡『のらくろ武勇談』大日本雄辯会講談社1938(S13)年 講談社復刻版1969年刊 46p,110p
(7) 夏目房之介『マンガと「戦争」』講談社現代新書1997年刊25p
(8)[図7] 「日の丸」集英社1959(S34)年3月号ふろく
(9) 「少年画報」少年画報社1954(S29)年~60年連載 [図8] 小学館クリエイティブ1巻 2007年105p
(10) 「冒険王」1952(S27)~54年連載(54年福井急逝後別作家で継続) [図9~10]『漫画名作館 イガグリくん』1994年刊(単行本化されたものの復刻)65p,272p
(11) 「おもしろブック」集英社1958(S33)年~? [図11] 夏目房之介『消えた魔球』双葉社1991年刊21p(夏目による模写)
(12) 米沢嘉博『戦後野球マンガ史 手塚治虫のいない風景』平凡社新書2002年刊57~58p
(13) 『忍者人別帳』東邦漫画(貸本マンガ)59~60年所収 [図12~13] 小学館1996年刊22~23p
(14) 三洋社1959(S34)~62年 小学館クリエイティブ復刻版2009年刊1巻140p
(15)同上136p
(16) 「少年」光文社1961(S36)~65年連載 小学館文庫2巻「円月剣の巻」77年刊139p [図14] 同上140p
(17) 同上214~215p
(18) 「週刊少年マガジン」講談社1961(S36)年~62年連載 [図15~16] 講談社コミックス4巻1981年刊132p、6巻225p
(19) 「週刊少年マガジン」1963(S38)年~65年連載 [図17] 前掲夏目『消えた魔球』27p(同じく模写)
(20) 「週刊少年マガジン」1966(S41)年~71年連載 [図18] 講談社漫画文庫1巻1995年刊51p
(21) 「週刊少年マガジン」1968(S43)年~73年連載 [図19] 講談社漫画文庫1巻2000年刊173p
(22) 「週刊少年マガジン」1971(S46)年連載
(23) 「週刊少年マガジン」1971(S46)~77年連載 [図20~21] 講談社漫画文庫1巻1999年刊 133,157p
(24) 「ヤングコミック」少年画報社1988年連載 [図22]廣済堂出版1985年刊 60p
(25) 「週刊少年ジャンプ」集英社1977(S52)~80年連載 [図23]集英社漫画文庫3巻1979年刊147p
(26) 「週刊少年ジャンプ」集英社1977(S52)~82年連載
(27) 「週刊少年ジャンプ」1985~95年連載 [図24~26] 集英社ジャンプ・コミックス1986年刊2巻24p、14巻112p、42巻121p
(28) 夏目房之介「鳥山明『DRAGON BALL』試論 「強さ」とはなにか?」『マンガの深読み、大人読み』イースト・プレス2004年刊32~33p [図27]同上32p
(29) 「コミックファイター」他1989~90年連載 [図28~29] 朝日ソノラマ1990年刊31p,264~265p
(30) 「週刊少年チャンピオン」1994~96年連載 [図30~31] 秋田書店少年チャンピオンコミックス1巻146p,160p
(31) 「モーニング」講談社1998年~連載 [図32] 講談社モーニングKC33巻?p
(32) 「週刊少年チャンピオン」1999~2005年連載(『グラップラー刃牙(ばき)』1991~99年連載の続編) [図33~34] 秋田書店ワイド版「最強死刑囚編」7 364~365p、『グラップラー刃牙(ばき)』32巻 ※(33)泉信行著作44pより転載
(33)泉信行(イズミノウユキ)『漫画をめくる冒険 -読み方から見え方まで-』ピアノ・ファイア・パブリケーション2008年刊44p
註1 「劇画」は使用者によって定義が異なり、混乱をきたす。歴史的には1)貸本マンガにおける辰巳よしひろなどの提起した初期「劇画」と、その後、2)白土、平田弘史などを含む貸本系表現を含む言葉、さらに3)青年マンガ誌などで喧伝され一般化した「劇画」など、三段階ほどの変化がある。また、米コミックス、欧州BDなどを「劇画」と呼ぶ傾向もあった。ここでは、2~3)で使われた用語として使用する。
註2 前掲書の泉の註によると、ここで述べられる同化・異化・共体験などの概念は西郷竹彦による。異化は、シクロノフスキーの「異化効果」とは別の概念という。