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夏目房之介の「で?」

日経新聞文化欄「アニメ・マンガ国立施設」(6月27日付)

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アニメ、マンガなどの収集・展示施設「国立メディア芸術総合センター」についての賛否を報道しているのだけど、なんかいろいろと首を傾げるとこが多い。
僕も詳しく調べたわけでもないし、このテの政策物件は苦手分野なので、素人の疑問かもしれないけど、まず「メディア芸術」ってアニメ、マンガのことなの?
ざっと見ただけだが、文化庁のサイト「メディア芸術の国際的な拠点の整備について」によると、〈映画、マンガ、アニメーション、CGアート、ゲームや電子機器等を利用した新しい分野の芸術の総称〉だとある。この場合、マンガという出版メディアも「新しい分野」なんだろうか。一体どういうくくり方なんだろうという疑問もあるし、読んでも何を目的にして何がしたいのか、よくわからない。それにしても、報道が「アニメ、マンガ」で一くくりにしちゃってるのは、正確じゃないんじゃないのかね。
http://www.bunka.go.jp/oshirase_other/2009/mediageijutsu_090514.html

僕自身の結論だけいえば、思いつきで政府がポンと予算つけちゃったので、あわてて作文しましたって印象を、文化庁の文章からは感じるし、もしもアーカイブをきちんと作り、研究体制を整備したいのであれば(それはもちろん将来の市場分析や産業構造の解明って意味でも必要だろう)、単年度で土地と建物買う予算出すだけで、あとは民間(例によって天下り先機関の確保?)に払い下げみたいな発想はやめたほうがいい。集めた貴重な資料が財政難ですぐに危機に瀕するだろうことは、大阪の国際児童文学館を見ても予想できる。読んだかぎりでは、入場者の利用料で経費を出す予定みたいだけど、絶対無理だし、その算出法がむちゃくちゃ甘い。この限りでは、よくあるハコモノといわれてもしょうがないので、国民の一人としては「もういい加減、建設と土地に金回すだけの発想やめようよ」といいたくなる。
ちなみに利用料の問題については、「漫棚通信」さんに試算がある。
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-7939.html

研究者としては、マンガ、アニメなどのアーカイブや研究センターができるのは喜ばしいのだが、はたしてそのあたりをどこまでリアルに考えているのか、文化庁の作文からは不安にならざるをえない。なんだか、外国から観光客を呼ぶ施設として考えているみたいだけど、それ以前にまず何十年も継続できる研究施設(それのない収集保存施設はかえって危険だと思うぞ)の財政システムを考え出すのが先決だろうとしか思えない。

てなことは、何となく考えていたのだけど、新聞記事を読むと、かしげた首がもっとかしいでしまう。「メディア芸術総合センターを考える会」(6月上旬)を取材した日経の新聞記事はどういうふうに賛否をまとめているかというと、賛成派(浜野保樹、里中満智子)はアーカイブの緊急必要性を主張し、アニメの制作現場(動画制作会社代表)からは、そんな施設よりも育成支援をするべきだと「否定的な声」が目立つとされる。劣悪な製作費状況と外注による空洞化で製作者の再生産ができない状況にある、というわけだ。
後者は以前から指摘されていて、メディア・ミックスやマーチャンダイズの現状のお金のシステムでは、圧倒的に制作側に低コストのしわ寄せが行っている。たしかに、アニメだからというより、一般に労働市場システムとして考えても問題を解決する必要があるが、こうした問題は本当は国の問題ではなく、アニメを含む商品展開の参加者が将来を見据えて改善してゆくべき問題である(国はせいぜい業界指導とか、指針の発表、あるいは法的整備で助けるのが普通だろう)。手塚アニメのせいで低賃金が固定したようなことをまことしやかにいう人がいるが、それって後で業界を引き継いでいった人々が現状を改善しなかったからであって、固定した制度が法的にできあがっているわけではない(ちなみに手塚アニメが低賃金を固定化したという「神話」については、アニメ研究家・津堅信行氏が批判的に検証している)。

というわけで、センターの予算問題に「アニメの低賃金による育成阻害のほうが問題なので、そっちにお金を回してくれ」というのは筋違いじゃないだろうか。あるいは、発言者もそんなつもりではなく、それどころではない問題を指摘しただけかもしれない。が、新聞での取り上げ方だと、そうなってしまう。
新聞では、アニメの海外進出もここ数年売れ行きが落ちてきている現状を報じ、結論的に〈将来アニメが“文化財”になってしまったら本末転倒だ。官民一体での地道な人材育成こそが求められている〉としめくくっている。が、賛成派がおもにマンガのアーカイブの話をしているので、この賛否はじつは対立してない。おかしな印象しか残らないはずなのだ。

では、マンガの側からいうとどうか。アーカイブの整備と研究施設は、そりゃあったほうがいい。出版に限らないマンガやアニメの今後の可能性や、産業構造の問題を分析するにも、基礎研究や資料整備は必要条件だからだ。けれど、そうはいっても財政的に立ちいかないのがわかっている施設を作るのは、かえって危険ではないかと思う。そういう施設が自前で予算を生みだすシステムは開発が困難、というか現状無理だろうから(ベンチャー系で何か面白いこと考える人いないかしらね)、国がやるならちゃんと継続的に支えられる制度にすべきである。
マンガ研究の現場からいえば、現状でやるのなら、大阪国際児童文学館(貴重なマンガ及びその周辺の資料が多く保存整理されている)を一方で潰しておいて、別途にやるというのはおかしい気がする。まずは、児童館の支援、民間で継続されてきた早稲田の現代マンガ図書館(本当はこの施設も小学館、講談社、集英社など大手出版社が支えてしかるべきものだが)の支援、そしてそれらと京都国際マンガミュージアム、川崎市市民ミュージアム(ここもユニークなマンガ資料を保存している)など、おもだった施設を連携し(そうそう、明大の米沢嘉博図書館構想もあったな)、そのセンター的な役割として経費を抑えた形でやるべきだろうと、そういう発想になる。少なくとも先行したアーカイブとの調整と方法の継承・発展は不可欠だろうから。

一応、文化庁の文章にはフィルムセンターなどとの連携という部分はあるので、理念的には可能だろうが、問題はハコモノ優先の予算ということだろうと思う。きちんとアーカイブとして機能する(そのためには継続が必須)ことを考えるなら、そのあたりが予想され、文章化されていないと、現場、業界の人々は苦笑いして無視することになるだろう(僕も、そうしてた)。
もっとも業界に、ロビー活動のできる政治力があって、しかし信頼も厚い人物がいないっていう問題は、こちらの課題としてやっぱりある。こういう問題では、やはり政治的なプレゼンのパイプがないと、問題はいつまでたっても具体化しないよね。森川さんあたりにがんばってもらうしかないかな。

コンテンツ産業が今後の日本の産業構造変化の重要な課題となり、変化に伴う労働人口の移動の受け入れ先になり、また日本の経済を支える可能性があるという論調に関して言えば、少なくとも現在のところ、それは夢物語にすぎない。出版はもう十年以上市場縮小を続けており、その規模は最大時でも2兆6千億程度。コンテンツ産業と呼ばれる市場も、日本の経済や労働市場をどうにかできるようなレベルではないはずだし、海外市場もクルマなどと比べたら問題にも何にもならない。そもそも文化庁の人の論文で、何年か前にそう結論づけられていた記憶があり、その人はコンテンツの海外進出はむしろ「安全保障」の問題だと書いていた。面白いと思ったな。

新聞報道などは、ことのはじめから「マンガ・アニメ」という言葉でしか、このセンター構想を見ておらず、「国立マンガ喫茶」だとか、「マンガに国が出しゃばるべきでない」だとかの(どうでもいいような)論調を生み、もともとの問題からズレたところでしか報道的な議論がなされていない気がしてしょうがない。一体「総合センター」は何をやりたいのか、何が対象なのか、どうやって経営するつもりなのかが、もう少し明瞭なら、この情報の混乱は起きなかったかもしれない。「メディア芸術」という「新しい」概念を提出する理念があったのなら、そこから必要性や効果を説明してくれないかな、と思う。
僕は別に文化庁が国の役所だから文句いう気はない。以前文化庁の人と個人的に会ったときは、その出版分析はほぼ正しいと納得したし、熱意がある人がいるのも知っている。でも、この予算案に関して、一言でいえば、やめたほうが無難じゃない? としか、今はいえないなあ。どうなんだろうねー。

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