現代マンガ学講義レジュメ 6月12日までのまとめ
2008.5.29 現代マンガ学講義(6)
※日付、講義回数が飛んでいるのは、レジュメどおりに進まず、同じレジュメで脱線しつつ講義をしてきたから。
4)いくつかの「定義」 続き
A)
S・マクラウドのコミックス=マンガ定義
スコット・マクラウド『マンガ学 UNDERSTANDING COMICS THE INVISIBLE ART』 岡田斗司夫監訳 美術出版社 ‘98
図1 12~14p 本とか「モノ」ではなく「形式」 表現形式(内容/形式)
形式的特徴 → ウィル・アイズナー《連続的芸術 シーケンシャル・アート》
〈メッセージとメッセンジャーを混同しないこと〉14p
図2 15~17p 「連続的芸術」+視覚+[空間 ]並置―芸術+静止画像+絵画的
〈意図的に連続性をもって並置された絵画的イメージやその他の図像。情報伝達や見る者の感性的な反応を刺激することを目的として描かれる。〉17p
→歴史的遡行(古代的絵文字 表現形式のみの定義は、歴史規定を含まない
→マクラウドの場合、「COMIOCS」のみならず「MANGA」も含む
図3 82~83p コマの繋がり分類(カット) 空間による時間的連続の仕方
図4 84~87p
2.動作→動作action 3.主体→主体subject 4.場面→場面scene の割合
手塚作品 5.局面→局面aspect 1.瞬間→瞬間moment
図5 88~89p 日本マンガ(日本のアーティスト)の特徴抽出の試み
連載形式への言及 「間」intervalsの問題
原理的な問題の言語化(マンガ化)
図6 56~57p
言葉picturesと文字wordsの対比 リアリティ/抽象化/記号化
図7 58~59p 具象・抽象・意味 リアリティ・絵画的平面図形・言語
Reality The Picture Plane Language
図8 60~61p 〈マンガの世界地図〉Map of the universe called COMICS
図9 62~63p 表現構成による分類の試み
映画理論、マクルーハンのメディア論、美術理論などの援用?
図10 類似した試み〈マンガの描線の評価軸による座標図〉夏目・竹熊編『マンガの読み方』宝島社 95年 56p 描線の質による分類(夏目房之介
B)歴史的な語の「定義」 あるいは「定義」の歴史
言葉の「起源」 宮本大人による「漫画」の成立史
参照 宮本大人「「漫画」概念の重層化過程 近世から近代における」 「美術史」154冊 03年
〈「漫画」という概念は、近世以降の日本において、次第にその意味を重層化させてきた。近代に入ると、英語「caricature」、あるいは「cartoon」に、対応する意味を担うようになる。本論は、その過程と、やはり近代に制度化される「美術」との間の関連を、明らかにしようとするものである。〉
●現代日本 「漫画」の用法 フリップ図11
意味1 漢語の原義 鳥(へらさぎ)の異名 12世紀登場の中国語
意味2 近世日本〈自由奔放な筆致で絵を描くこと。また、その絵。そぞろがきの絵〉
意味3 近代日本〈特に、社会批評、風刺などを主眼とした単純軽妙な絵。滑稽風刺の画〉=caricature 明8(1895)今泉一瓢の作品集表題が最初?
〈「戯画」や「狂画」や「ポンチ」といった既存の類似概念を包括〉
●近世 浮世絵師(北斎)の絵手本による「漫画」=意味1.5
意味2の発明 「漫画」(意味1)に「漫筆」(中国語)の連想で日本人が創った意味?(清水
『漫画随筆』 漫画=〈終日水上ニ奔走シ、小魚ヲ労捕シテ、コレヲ食フ。猶飽クコト能クセズ〉自分も漫画のように〈唯、書ヲ読ム有ルノミ〉
林美一〈漫画鳥のように飽くことなく渉猟するという意味で用いられた漫画という言葉が、後にまんがと絵画に限って慣用されるようになった〉「江戸のまんが」 「芸術生活」74年 27巻2号
〈『北斎漫画』にいう「漫画」は、そこに収められている個々の絵についての言ではない。ありとあらゆる事物を、ありとあらゆる描法で描き尽くすという、その行為の全体、およびその結果としての膨大な数の絵、あるいはそれらが集められた書物のありようを指して、「漫画」の語が当てられている〉
『北斎漫画』図版紹介
●近代
意味3は明40(1907)『辞林』に登場
〈書名に「漫画」という語を含む書物においては、明治末に、書物の体裁の和装から洋装への移行が、描き手の「絵師」から「画家」への移行、作り手によって意図されている書物の役割の絵手本から鑑賞目的の画集への移行、そして「漫画」概念の意味1.5から意味3への移行を伴って、集中的に起こっているのである。〉宮本論文
意味1.5から3へ 今泉一瓢『一瓢漫画集・初編』明8(1895)
「漫画」が描法・書物ではなく個々の作品=漫画へ
明治20年代 「日本美術史」の体系化作業
〈臨時全国宝物取調局の活動、東京美術学校における岡倉天心の「日本美術史」講義、雑誌『国華』の創刊、といった一連の国家的事業〉→「戯画」として唯一国宝に指定される「鳥獣戯画」→「漫画」の起源化
明40年代 画家たちによる漫画本ラッシュ
〈従来の「風刺滑稽の画」が、実際には添えられた戯文とあいまって初めて全体として成り立つありように対して、「絵画」として自律した表現が意図されていた。〉〈「漫画」は、[略]理論・実践両面から、「美術」の一ジャンルとみなしうるものとして、成立した〉
美術展への展示発表批評など
ジャンルの成立と近代芸術概念の移入成立の過程
● 近代漫画概念の成立 美術と漫画 純粋と不純
参照 宮本「不純な領域としての成立―『漫画』の起源―」「週刊朝日百科世界の文学110 マンガと文学」朝日新聞社 01年
近世の絵文字混合形態〈音読に適した文体や、判じ絵的表現〉
→近代 音読から黙読へ 新聞による広範な読者の効率的で正確な情報伝達へ
坪内逍遥『小説真髄』(明18~19) 挿絵から自律した詳細な文字描写
フェノロサ『美術真説』(明15) 文人画批判 純粋な絵画性へ
文と絵の分離 純粋化→近代小説、近代絵画美術
明30年代 近代「絵画」観に沿った(ポンチ→)「漫画」観の成立
文と絵の「不純」な混交表現としての「漫画」
→参照 宮本「漫画以前から」筑波大修士論文 95年
文と絵の近世的混交表現から両者の分離による近代「漫画」の成立
●再び「重層概念」へ↓
当初から、カリカチュアより「漫画」を曖昧な「深い」概念とする傾向
〈我が漫画は、画よりも或は字に近し、形象文字に近し〉未醒『漫画と紀行』
意味3.5?
〈「美術」でないかもしれないものの混じり込む「不純」な場所が、「美術」の中で価値序列の下位に置かれてしまうことは必然であった。この位置付けが、以後、「漫画」の「美術」に対するコンプレックスを形成し、「美術」としての認知を求める動きと「美術」から分離しようとする動きが絶えず共存する場としての性格を、「漫画」に与えることにあるのである。〉
〈カリカチュアにほぼ対応する意味での「漫画」は、「美術」から排除されることによってではなく、いわばかろうじて「美術」になることで成立した概念であった。さまざまな「不純物」を排除することによって「自律」してきた「美術」が、十分に大きくなり、なお大きくなろうとする時期に、はらまれてしまった違和として、「漫画」はある。〉
→戦前マンガ家の多くがもった「本画」コンプレックス
→手塚「デッサン」コンプレックス
以上の問題は、60年代におけるマンガ論にも影響する
「マンガは芸術か?」の議論から、固有な表現形式としてのマンガ表現論的批評の萌芽へ(児童文学者の教育論的マンガ論からの離脱過程
2008.6.5 現代マンガ学講義(7)
1) リテラシーとしてのマンガ
リテラシー(literacy 読み書き能力、識字、教育
Literal 文字の literary 文学の literature 文学、文献
→情報の処理能力、判断、批判、識別能力 →IT、メディア、ある分野の・・・・
図1 「泥棒」 なぜ? ほっかむり 縞柄 運動靴
図2 源泉としての「ほっかむり」=泥棒? 月岡芳年(明13・1880
図3 人物絵理解の学年別正答率
中澤潤「マンガのコマの読みリテラシーの発達」 日本マンガ学会「マンガ研究」vol.7 05年4月
幼稚園児(19名)、小1(61名)、小4(59名)、小6(69名)、中2(70名) 計278名
〈「おばあさん」は幼児でも8割以上が理解している。「泥棒」も幼児でも50%以上が理解しており、小学1年生以降は80%が理解している。「泥棒」のストライプのシャツにほおかむりをするという記号的・ステレオタイプ的表現はかなり年少期に習得されている。
これら2つの絵と比較すると、「教師」と「学生」の理解は遅い。「教師の理解が50%を超えるのは小学校4年以降である。回答の形式が異なることもその要因の一つであろうが、この絵を「教師」を認識できるためには、人物像と背景にある黒板とを統合し推測しなければならない。このような推論は年少児にとって難しいと考えられる。
「学生」では、理解が50%を超えるのは小学校6年以降である。〉(前掲 9~10p)
図4 表情理解
〈「嬉しさ」や「怒り」は基本的な感情であり、理解しやすいと考えられる。「悔しさ」や「心配」は複合的な感情であり、同定が相対的に難しいと考えられよう。〉)前掲 12p
図5~6 形喩理解
A群「驚き」「ひらめき」「音」「走り」 小1で60%前後 小6で80%前後
B群「対立」「混乱」「好き」 小120~40%台 小6で60~80%
C群「あせり」「強調」「お金」 小1で10~20% 小6で40~50%
図7 吹き出し理解 音喩理解
考察
〈絵や表情などの表現は比較的年少者であっても理解可能であるが、形喩や音喩では特に心理的な表現の理解が難しいようであった。[略]心理的表現の理解が難しいのは、それが表情のように目に見えるものではなく、抽象的な記号表現であり、その理解には学習が必要であるからであろう。この学習は、マンガを読む中で、問題解決的に理解され知識化されていくものである。〉(同上 19~20p)
● マンガを読む能力は学習しなければ身につかない
● マンガの表現を構成する要素によって学習難度が異なる
2) 註釈 マンガ表現の構成要素
夏目他『マンガの読み方』95 絵・コマ・言葉
形喩 〈マンガの絵もコマも言葉も、すべて記号だといえばいえるのですが、その中でも二次的三次的に抽象化され、独立した記号として働くものを、私は「形喩」という造語でよんでいます。線の形で何らかの意味を喩えるからです。〉(夏目房之介『マンガはなぜ面白いのか』NHK出版 97年
図8 『マンガの読み方』115p
図9 同上79p さまざまな形喩
図10 同上80p 漫符(竹熊) 高度に記号化され独立して働く心理・雰囲気表現など
音喩 マンガ内の擬音・擬態語=オノマトペ 絵としての要素
図11 同上126p
図12 同上130~131p
3) リテラシーと『ドラえもん』
中澤論文 フリップ1
サンプルのリテラシー度は小1以下と小4以上の群に大きく分かれた
〈このことは、小学1年生以下の子ども達が理解できるマンガ表現と、小学校高学年や中学生が理解できるマンガの表現が異なることを示唆させる。すなわち、年少者にわかりやすいのは、明確な記号的性格をもつ人物、基礎的な表情、物理的な特性を反映した形喩である。これは、多くの幼児用、小学生用の学習雑誌に掲載されているマンガに見られる様式である。これらにマンガの読み経験が加わることで次第に他の側面の理解も学年につれ進んでいく。[略]年少児以外の一般的なマンガを読む上で、かなり高度なリテラシースキルが必要であるといえよう。〉中澤潤「マンガのコマの読みリテラシーの発達」20p
→マンガ読みリテラシーに見られた性差については今後の課題
『ドラえもん』と学年誌 リテラシーの歴史的成立 フリップ2
70年1月号「小学1~3年生」(小学館)連載開始 64年生=1年生
70年3月号より5,6年生にも
73.年4月 初のTVアニメ化(~9月)
74年8月「てんとう虫コミックス」刊行開始
77年4月「コロコロコミック」創刊
79年1月「てんとう虫コミックス」1千万部突破 同上=15歳
同4月二度目のTV化
同8月 長編第一作『のび太の恐竜』公開
79年11月「てんとう虫コミックス」3千万部突破 成長課題へ
幼少読者の「マンガリテラシー」普及ツールとしての『ドラえもん』
70年に小1~3年=60~64年生=第一次おたく世代
その後のマンガ・アニメの中心受容層を形成
「読みやすさ」の指標
図13 「丸」の造形 夏目『マンガの力』晶文社 99年 243p
図14 コマ割りのわかりやすさ 同上249p
〈『ドラえもん』世界では非日常的な事件がたてつづけにおきているが、その混乱がある了解内に(空間的にはせいぜいご町内に)とどまるだろうという安心感を、コマ構成が与えている。だから、しばしば事件のあとでドラえもんとのび太はかわりばえしない自室の風景に帰り、安堵して話を終えることができるのだ。自室の背景が静止的な直線で構成され、イタズラ描きも貼紙やシールもない(怠惰なのび太の部屋にしては整頓されすぎた)空間として描かれることも、このコマ構成にはねかえって、安定感を増している(図31-13)。
コマ構成と絵(+文字)の織りなす文脈こそがマンガ表現の核であるなら、藤子・Fの律儀で安定的な描線の絵とコマ構成は、あまりズレをおこさないことでわかりやすさを作りだしているように思える。〉同上 248~249p
『ドラえもん』とマンガの青年化
「ビッグコミック」69年1月号 さいとう・たかを『ゴルゴ13』連載開始
=マンガ青年化=青年劇画誌の娯楽誌化→市場定着へ
〈『ドラえもん』は、戦後マンガが青年化し流動化したときに、そのアンチとして抽出され結晶した、戦後児童マンガの安定した定型なのである。〉同上252p 初出 岩波書店「よむ」93年6月号
2008.6.12 現代マンガ学講義(8)
4) リテラシーと『ドラえもん』
幼少読者の「マンガリテラシー」普及ツールとしての『ドラえもん』
70年に小1~3年=60~64年生=第一次おたく世代
その後のマンガ・アニメの中心受容層を形成
図1 第一次~第二次おたく世代(60~70年生)の成長と『ドラえもん』
グラフ 64年生が中学(77年)時に「コロコロコミック」創刊
=第一世代 高校になる頃(80年)「ジャンプ」3百万部突破
同20歳で『ドラゴンボール』連載開始(84年)
同31歳時がマンガ・出版市場のピーク→崩壊へ
「読みやすさ」の指標
図13 「丸」の造形 夏目『マンガの力』晶文社 99年 243p
図14 コマ割りのわかりやすさ 同上249p
〈『ドラえもん』世界では非日常的な事件がたてつづけにおきているが、その混乱がある了解内に(空間的にはせいぜいご町内に)とどまるだろうという安心感を、コマ構成が与えている。だから、しばしば事件のあとでドラえもんとのび太はかわりばえしない自室の風景に帰り、安堵して話を終えることができるのだ。自室の背景が静止的な直線で構成され、イタズラ描きも貼紙やシールもない(怠惰なのび太の部屋にしては整頓されすぎた)空間として描かれることも、このコマ構成にはねかえって、安定感を増している(図31-13)。
コマ構成と絵(+文字)の織りなす文脈こそがマンガ表現の核であるなら、藤子・Fの律儀で安定的な描線の絵とコマ構成は、あまりズレをおこさないことでわかりやすさを作りだしているように思える。〉同上 248~249p
リテラシーの変化
マンガ → TVアニメ・劇場アニメ →キャラクター商品化 →多層化
ゲーム、携帯などを含めたメディアと商品の多層的存在としての「キャラ」
多層的な「読み」の対象としての「キャラ」についてのリテラシー
設定の多様化と『ドラ』世界の充実 幼児~思春期型のび太の同居
ドラえもんの設定 磁石アーム 読者の疑問への応答
多層的な低年齢向けキャラの国民的キャラ化(東アジア一帯
ストラップ スヌーピー、キティちゃん化 キャラの自律性(物語離脱
「最終回」の妄想 受容者層にとっての『ドラえもん』の成長
『ドラえもん』とマンガの青年化
「ビッグコミック」69年1月号 さいとう・たかを『ゴルゴ13』連載開始
=マンガ青年化=青年劇画誌の娯楽誌化→市場定着へ
〈『ドラえもん』は、戦後マンガが青年化し流動化したときに、そのアンチとして抽出され結晶した、戦後児童マンガの安定した定型なのである。〉同上252p 初出 岩波書店「よむ」93年6月号
●リテラシーを成立させる条件 作品・媒体・読者
媒体・作品の成立と流通条件
作品
第一~二次おたく世代中心の浮揚効果モデル
定型的な作品による教育効果(ドラえもん) 70年代
→ 思春期・成長課題の展開(ジャンプ?) 80年代
→ 多様な作品世界(青年マンガ誌の隆盛?) 80~90年代
媒体
学年誌・幼年誌の役割 少年・少女誌~青年誌との有機的文脈
(小学館の学年誌的発想と戦略→年代層別雑誌展開)
大部数週刊マンガ誌媒体の発展(諸外国では見られない)
→最終的には部数そのものが宣伝効果となった実態を離れたバブル的数字へ
86年頃編集長をやめた西村繁男の証言(その頃435万部突破)
〈凄い不安感がありましたね。[略]要するに実力じゃないんじゃないかということです。[サンデー、マガジン、チャンピオン合わせて320万部くらいでジャンプに届かない]統計学だと思うんだけど、寡占の論理か定理というのがあって、何種類かの競争している商品のうちの一種類が、占有率で五十%を越すと、実力以上に転がりだして、占有率を高めるっていうことを何かで読んだんですよ。ある時期から、これは実力じゃない部分で上積みされてるんじゃないかと思ってましたね。〉西村繁男『まんが編集術』白夜書房 99年293p
[『ドランゴンボール』に触れて]
〈四百万部ぐらいまでの時のまんがと、そこから先のまんがは全然違ったものですよ。同じレベルのまんがだってとしても、四百万部を越してから掲載されたまんがというのは、コミックスの初版部数が違うんですよ。それだけ、毎回の雑誌連載がそのまんがを宣伝してるようなものでしょう。そのパワーが全然違っているから、そのまんがが持っている本当の実力がどうか、その辺にぼくは疑問を持っているわけ。〉同上 263p
当時の読者としてのインタビュアーの証言(菅沼嘉人 64年生)
〈[DBが終わりそうだと聴いて落胆した]なんだかんだいいつつも、他とは比較にならない面白いまんがでしたから。でも、その後から極端にバトルとか、トーナメント戦みたいになってしまう。[略]『ジャンプ』お決まりの展開になって行ったんです。[略]逆に惰性で読んでた人は、連載が終わった瞬間に買わなくなるんです。〉同上 264~265p
「巨大産業化」(?)したマンガ出版のバブル的側面が週刊誌という媒体にあらわれた
●表現としてのマンガ
マンガ表現論の成立まで素描 「マンガ論」から「ぼくらのマンガ」
夏目 マンガ表現論 四方田犬彦『漫画原論』
「絵・コマ・言葉」三要素仮説 → 伊藤剛『テヅカ イズ デッド』「キャラ」
伊藤の作者・作品・媒体・読者・社会を俯瞰する模式図
表現論的側面の普及と「BSマンガ夜話」の影響 自称「夜話世代」の登場
次週、夜話放映予告と夜話についての講義予告