僕の中の天使と悪魔
今出ている岡三証券広報誌「アデッソ」5月号の連載「中年自身」89で「にわか教授の不安」と題して、学習院大学の専任教授就任のお誘いをいただいたとき、僕の気持ちがどうだったかについて書いている。
正直いって、そのあたりの気持ちの揺れや不安をどう説明するかは、これまでなかなかうまく言葉にできない部分だった。この連載エッセイで書こうと思っていたので、多分自分の中で無意識に準備していたのかもしれないが、わりとうまく説明できたような気がする。書いたあと、自分で「ああ、そうだったのか」と思ったりした。
どういうふうに説明したかというと、つまりこんな感じだ(連載の内容とは、ちょと異なる)。
話があったとき、まず僕の左側に天使の格好をした僕が出現して、こういった。
「やめとけ。お前は、そもそも大学でヒトに教えるような学術的な知見もなければ、アカデミックな修練もされていない。大学院すら、いったことがないじゃないか。大学教授の資格も能力もないんだぞ。これまで以上に見栄をはり、知ったかぶりがひどくなるだけだ。お前自身が辛くなるだけってことだ。悪いことはいわない。断っとけ」
すると、反対側にボワンと煙とともに悪魔の格好の僕があらわれて、いう。
「だいじょぶ、だいじょぶ。わかりゃしないって。テキトーにやってりゃ、バレやしないよ。給料もらって、学生と遊んでりゃいいんだって。これまで苦労してきたご褒美だと思ってラクすりゃいいのよ。楽勝、楽勝」
すると、こんどは斜め下から、ビビリで子どもの僕がスソをひっぱり、泣きながら、いう。
「やめなよー。こわいよー。すぐ失敗するよお~。化けの皮がはがれたら怒られるよー」
そこに、前のほうで太鼓持ちの格好をした僕が「好奇心」と大書した扇子を片手におどけながら、お気楽にいう。
「いいじゃん、面白そうじゃん。とりあえず、やってみればいいいよ。今までと違うもんが見られるかもしれねぇぜ? ダメだったら、やめりゃあいいんだから」
結局、いつものことだが、僕はこの最後の自分のいうことを聞いてしまうのだ。
これが吉と出るか凶と出るか、もちろんまだ一ヶ月でわかろうはずがない。が、とにかく、僕の中ではそんな葛藤があったのだった。