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夏目房之介の「で?」

汚れつちまつた悲しみに・・・・

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ふと、頭にこのフレーズが浮かんだ。

詩なんて縁のない俗な衆生なのだが、人生の中で何度か人間が「悲しみ」をたたえた皮袋のように思えたことを思い出したら、ふと浮かんだのだった。

たしかナカハラチューヤだったよなー。
最初の二行は思い出す。

  汚れつちまつた悲しみに
  今日も小雪の降りかかる

本棚から古~~い文庫本の『中原中也詩集』を取り出した。
昔むかぁ~し、つきあった女の子が持っていた文庫がナゼか、ここにあるのだ。

昭和30年初版、41年25版だよ。カバーはなくてにしめた色をしてる。

あらためて読んだら、いいのよ、これが。
いくつか、ぱらぱらと読んで、少しの間意識の底に沈んでいたよ。

  僕はなんでも思ひ出します
                    「別離」

・・・・とか。

 死の時には私が仰向かんことを!
                    「羊の歌」

・・・・とか。

 それが私の堕落かどうか
 どうして私に知れようものか

                    「憔悴」

・・・・とかね。

不思議な言葉だと思う。ふっと意識をとらえて、錨のように深い海の底にゆっくり降ろしてしまうような言葉がある。やっぱり、凄いですね、こういう詩人ってのは。

言葉と何かそこにあるもの、こちらの前にもあるものが、きちんと対応していたような時代。
それが失われてしまった時代が始まって久しいと思うけど、それでも今でもこういう詩が読みの力を蘇らせるのはナゼなんでしょうか?

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