花園大07後期集中講義レジュメ3
3)マンガという「表現」
マンガを「表現」として扱う
マンガは何かに意味の本質論として答えるものではない
●マンガを成り立たせている諸要素、商業市場や媒体のシステム、制作流通の場、読者共同体など、社会的な条件をとりあえず後景に退かせた表現メディアとしての「描き/読む」構造を抽出すること
● その構造を介して固有のリテラシーが生じ、作品も読者も再生産される
「表現」として扱おうという問題意識(問い)はいかにして生まれたか?
●日本ではおもに60年代、マンガを支える社会集団に知的な階層が入り込み、また圧倒的な量で市場をささえた戦後ベビーブーマーがその後を追って知的上昇をとげたとき、フォークやロックなど若者文化表現の一翼に「自己表現」を担うメディアとしてのマンガを(おもに子供向けマンガの発展形態として)「発見」していった
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社会的な大衆娯楽メディアとしてという以前に、純粋な「表現」として=「マンガをマンガとして扱いたい(新たなマンガ批評へ
● マンガを支えた社会集団の変化 高年齢化、知識階層化、批評市場の成立
A)前提
「文化」観の変化
鶴見俊輔『限界芸術論』 60年発表論文の「限界芸術」概念
〈今日の用語法で「芸術」とよばれている作品を、「純粋芸術」(Pure Art)とよびかえることとし、この純粋芸術にくらべると俗悪なもの、ニセモノ芸術と考えられている作品を「大衆芸術」(Popular Art)と呼ぶこととし、両者よりもさらに広大な領域で芸術と生活との境界線にあたる作品を「限界芸術」(Marginal Art)と呼ぶことにして見よう。
純粋芸術は、専門的芸術家によってつくられ、それぞれの専門種目の作品の系列にたいして親しみをもつ専門的享受者をもつ。大衆芸術は、これもまた専門的芸術家によってつくられはするが、制作過程はむしろ企業家と専門的芸術家の合作の形をとり、その享受者としては大衆をもつ。限界芸術は、非専門的芸術家によってつくられ、非専門的享受者によって享受される。[略]
二十世紀に入ってマス・コミュニケーションの手段の発達、民主主義的政治・経済制度の世界的規模における成立とともに、純粋芸術と大衆芸術の分裂は決定的なものとなった。[略]
地上にあらわれた芸術の形は、純粋芸術・大衆芸術を生む力をもつものとしての限界芸術であったと考えられるからである。〉鶴見俊輔『限界芸術論』ちくま文庫 99年 14~15p
限界芸術の例
盆栽 川柳 民謡 労働と遊びの境界 柳田民俗学
ハイアートとローアートの分裂を統合する視点 境界的文化の裾野
社会集団へと開く視点 → 「芸術」を特殊発展形態として社会全体に根拠を求める → 芸術概念の大衆化 民衆主体の歴史と文化の思想(思想の科学
● 戦後の大衆思想枠組からのマンガへの注目 社会学的観点
参考 鶴見俊輔『鶴見俊輔集7 漫画の読者として』筑摩書房 91年
同『戦後日本の大衆文化 1945~1980年』岩波文庫 01年
休憩
B)60年代反近代主義
石子順造の美術史的観点
〈今世紀初頭以来、文学以外のすべての芸術は、いわば反文学主義ともいえる発想や方法を見いだそうと努力してきた。それは、ことばによって秩序づけられる事象の因果およびそれに基づく価値観から表現を自立させようとする試みであったともいえる。文学でも今世紀の後半にさしかかって、いわゆるストーリー主義の否定が大きく論議された。このような動向は、やがてすべての分野にわたって言語論やイメージ論、さらには知覚の構造や時間意識など、表現行為そのものへのもっとも原理的な問い直しを必然化する。それはほかならずヨーロッパ的な合理的近代と、それとペアである非合理的な反近代とを、ともに超えようとする志向でもあった。[略]
芸術と非芸術と分けてしまうその発想なり手続きの論理が、すでにすぐれて「近代」の所産にほかならないからである。
マンガについてだって、同じことがいえるはずなのだ。マンガがメディアとしても、メッセージとしてもマンガでありうるのは、マンガに独自な表現の論理と可能性がありうるからであって、何かの代用としてではあるまい。〉
石子順造『現代マンガの思想』太平出版社 70年 50~51p
石子「マンガ表現構造論」の提唱 メディア論的な観点 読者論の重視
60年代、貸本マンガ→劇画ムーブメント、とりわけ「月刊ガロ」の「同伴知識人」グループをなす 反商業主義の傾向 「表現のアクチュアリティ」=基準
●様々な既成芸術概念(イデオロギー)に汚染され、とりこまれるマンガではなく、それ自体を語る方法の模索=「表現」自体を固有のメディアとして捉える観点
C)70~80年代、「私(ぼくら)=マンガ」世代の台頭
村上知彦、米沢嘉博ら
「マンガ世代」の自覚と「ぼくらのマンガ」運動 →エロ劇画ムーブメント
〈いま全国に千ともそれ以上とも言われるまんが同人誌のサークルが、ぼくらのまんがというメディアの所有の仕方を証明している。[略・同人誌は]確実に、ぼくらのまんがというメディアを形成する、広大で重要なすそ野なのである。[略]まんが同人誌は本質的に読者サークルである。だがそれが必然的に「かくこと」をも含みこんでしまうのは、まんがにおいて「よむこと」と「かくこと」の境界がきわめて近いということ、よりよく読むためには、現実的にであれ幻想的にであれ、自ら描いてみるしかないという、まんがの、ほとんど知られていない特質によっているのだ。[略]
ぼくらが、「よむこと」すなわち「かくこと」に他ならないということ、言葉をかえればぼくらは単に作品としてのまんがを読んでいるのではなく、ぼくらが読むことによって現れる状況のすべてをまんがとして読んでいるのだということに自覚的になったのは、やはり『COM』以後のことだろう。〉村上知彦『黄昏通信』ブロンズ社 79年 61~62p
マンガ体験の変化への自覚 同人誌運動への「ぼくら」幻想
「読む=描く」リテラシーの自覚 手触り的認識の確信とマンガ読者共同体
● 「ぼくらのマンガ」奪回運動=マンガ(全共闘)世代の「党=運動」幻想
● 「読む=描く」ものとしてのマンガ概念
● 読者共同体の組織化=「COM」ぐらこんネットワーク →コミケへ
● 読者と近いメディア=マンガという共同幻想
●マンガを「読む」ことも「表現」である(自己表現運動としてのマンガ
●「読む=描く」構造としてのマンガ表現
→夏目らマンガ表現論へ
参考 瓜生吉則「マンガを語ることの〈現在〉」吉見俊哉編『メディア・スタディーズ』せりか書房 00年刊所収
これら「マンガをマンガとして語ること」「読み=描く表現としてのマンガ」の背景には、自己表現としてのマンガの台頭と、それに随伴する知識層の言説の関係が見られる
石子順造ら → 貸本劇画、白土三平、「ガロ」、つげ義春など
村上知彦ら → 同上に加え、COM、宮谷一彦、真崎守など
● 同時代を共有した突出したマンガ表現に対応した言説の生成