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夏目房之介の「で?」

馬貴派八卦掌の対錬効果

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先日の練習で、遠藤老師に走圏の問題点を指摘された。
個人的な問題であるのと、非常に微妙な動き方についての指摘なので、説明はごく簡単にしかできない。要するに、左右の足に重心(正確には重心とは違うかもしれん)をのせるとき、どうしても微妙に逃げて、腰が回ったり開いたりしてしまう、ということ。
で、それは以前から指摘されてもいて、注意もしていたつもりだけど、足が弱い分どうしても無意識に逃げてしまうという持病的な問題なのである。
で、問題は走圏練習のあと、3年過ぎたクラスの者同士で対錬をしたときのことだ。
ひさびさの対錬だったが、大石さんとやっていて、互いに「こうではなく、こうじゃないか」という指摘を行った。じっさい、自分のことはわからないが、他人のことははっきり見えるのだ。

で、大石さんが僕の穿掌・帯手のうち、僕から見て右に出たときの左手帯手がヘンだ、力の種類が違う、抜けてるという。隣で対錬をしていた渋谷・高橋ご夫婦がそれを見ていて「あ、わかった!」といって指摘してくれたことがある。
左手の穿掌から帯手で大石さんの左手を落とすのだが、そのとき僕の左足は前、右足は後ろに位置する。渋谷・高橋夫婦によると、右手の帯手のときは、後ろになる左足がしっかり地を噛んでいるが、左手帯手のとき後ろになる右足は、かかとが浮いている、というのだ。
僕は物凄くびっくりして、やってみたら、たしかに後ろ右足に全然力が入らない。どうしても前に重心がいってしまい、足幅も広くなり、かかとがちゃんと落ちないのだ。そりゃ、帯手にならない。走圏の足が実現できないのだから当然である。
それにしても、僕が意外だったのは、ずっと「左足の弱さ」ばかり気になって、左足の、とくにくるぶし周囲に充満する感じを重視して練習してきたのに、このときまで右足がダメだなんて思っていなかったからだ。このとき指摘されてはじめて、右足に力が入らず、じつは走圏でもくるぶしの特に後ろ側のスジが張ってないのがわかったのである。
それで、ああ、右足はしっかりしてると思い込んで、じつは無意識に逃げていたので、ちゃんと足裏を地につけて鍛えていなかったんだなーと痛感した次第なのだった。

つまり、何がいいたいかというと、じつに対錬というのは、こういう効果を生むものなのだ、ということなのだ。もちろん、同じくらいのレベルにある練習仲間がいるので問題点が「見える」わけだけど。

最近、僕が思うことのひとつは、ほんとに僕らが練習している動きとかって、実践的な技とか、技術的な連携を直接に実現反映しているものではナイということだ。じっさいに使うときは、これらの走圏、掌法の動きはいわば見た目隠れた「力」としてしか実現しないのだな、ということなんである。
要するに、僕らがやっているのは特殊な力を生む内的身体システムの構築と、それを外に出すときの意識システム及び力を運ぶ経路の開発・貫通作業(いわゆるスジ→ケイの鍛錬)なのであって、単換掌とか三角歩とかの一連の動きそのものは、極端にいえば実戦的には直接関係ないといってもいいのだと思う。
もちろん、長年その動きを鍛錬して特殊な「力」の流れが実現すると、必然的にその経路で動くはずだから、その意味で「練習の動きで実践する」といえなくもないのだろうが、それは他者が見て「あ、八卦掌の三角歩だ」とか、わかるようなもんじゃないだろうっていう意味である。動き自体はかなり柔軟自在で、しかも小さくなるんだと思う。だから逆に「練習は大きく動け」と指示されるのだろう。

ま、ホントにそうかどうか、何せ武術音痴のやっと初歩練習者のいうこったから、もちろん眉にツバつけて読んでいただきたいのであるが・・・・。

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