【書評】『人生最後の食事』:思い出の味
その料理人の名前は、ループレヒト・シュミット。現在は、ドイツのハンブルグにあるロイヒトフォイヤーという施設に勤める料理長だ。ハンブルグ界隈ではトップクラスの名店で勤めた経験も持つ、一流のシェフ。そんな彼が料理をふるまう相手は、普通の相手ではない。まもなく人生に別れを告げる重病患者たちなのである。
死を目前に控えた患者が人生最後の時間を尊厳をもって過ごせるホスピス、それが彼の勤務するロイヒトフォイヤーという施設だ。受け入れ可能な患者数は十一人、患者の余命は二週間。本書は、そんなループレヒトと患者たちの、とある日々の日常を描いた一冊である。
彼らに何を食べたいか聞き、心ゆくまで食事を堪能させることが、ループレヒトの務めだ。危篤患者にとっては、日常を取り戻す瞬間でもある。そんな患者たちを満足させるために求められる技術は、通常のシェフのものとは大きく異なる。
死を目前に控えた患者は、個人的な思い出と結び付いた料理を食べたがる傾向にあるという。昔おばあちゃんが作ってくれたアップルケーキ、彼女が初めて家に呼んでくれた時に作ってもらった料理、毎週日曜日に家族団らんで焼いて食べたじゃがいものソテー。たとえ五人の患者に同じ料理を頼まれたとしても、どれも別物だ。しかも、思い出は美化されていることが多いため、その仕事は困難を極める。患者の記憶を正確に引き継ぎ、少しでもふるさとを感じさせるために、その人の思い出を正確に汲み取らなければならないのだ。
こうして出来上がった食事の持つ力は強い。ものを食べれば、患者は自分がまだ生きていると感じられるのだ。そして、一キロでも体重が増えればうれしくなり、食事がもっとおいしくなる。二キロ増えれば、さらに自身が芽生える。食事は生きるうえで一番根っこにあるものでもあり、希望そのものでもあるのだ。
しかし、うまくいくケースばかりではない。化学療法の影響で、味覚が健康なときとは違ってしまっている患者、なかなか自分の食べたい料理を言い出せない患者、食欲がまったくなくなってしまっている患者など、相手はさまざまだ。なかには、体が食事を受けつけず食べることができないという理由だけで、難癖をつけてくる患者も登場する。
また食事の量にも、気を抜けない。料理を残すくらいなら手をつけないという患者もいるのだ。もっと太って体力をつけて体調を戻したいという患者にとっては、山盛りの料理は自分自身の限界を通知されるのと等しい意味を持ってしまうという。
そんな死と隣り合わせな環境での特異な日常は、たんたんと描かれるだけで、その浮き沈みが手に取るように伝わってくる。それはループレヒト自身の、死と向きあう感情にもあらわれる。ある時は感情移入し過ぎないように冷静さを貫き、ある時は死への鈍感さに罪悪感を抱く。その二つの間を、振り子のように行ったり来たり。プロフェッショナルと無関心の差は、まさに紙一重なのだ。それでも、彼はホスピスのモットー「人の寿命を延ばすことはできないが、一日を豊かに生きる手伝いはできる」を血肉として、自分の使命を全うしようとしている。
一食一食の料理ともう少しじっくりと向き合い、しっかりと味わいながら食事の時間を過ごさないといけないなと思わせてくれる一冊だ。その味を思い出さなければならない時は、いつの日か誰にだって訪れるかもしれないのだから。
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