【書評】『ブルーインパルス』:規律と判断
1964年10月10日13時58分、東京オリンピックの開会式が始まると、日本の熱量はついに頂点に達した。雲ひとつない澄み切った青空。世界中の視線がその大空に注がれた時、キラッと閃く五つの機影が現れた。五機の戦闘機はいっせいに旋回し、五大陸をイメージしたオリンピックの配色に合わせ、青、黄、黒、緑、赤の航跡を描き始めた。テレビオリンピックの別名通り、初めて全世界に衛星生中継された五輪スモーク。これを描いたのが航空自衛隊「ブルーインパルス」、本書の主人公である。
◆本書の目次
第一章 「東京オリンピック」と青空に描いた五輪のマーク
第二章 平和の空を舞った戦闘機パイロットたち
第三章 原爆という宿命
第四章 大観衆の前で起きた墜落事故
第五章 編隊長の「ブレイク」はなぜ遅れたか
第六章 「栄誉ある死」戦士の墓標
第七章 アグレッサ―の死角、空中戦という”麻薬”
第八章 超低空飛行の陥穽 ― 海に沈んだ空への想い
第九章 バーディゴ(空間識失調)
第十章 アクロバットから救難隊へ ― 嵐に生きる人生
編隊アクロバットの魅力は、静と動が織りなす”斉一と破綻の妙味”にある。一糸乱れぬ稠密な編隊が、頭上で一瞬にしてばらばらと散逸するさまは、演技の終盤で観客の驚きを誘う。このような曲芸飛行というものは、そもそも軍を除隊したパイロットが生計を立てるために、大道芸のようなスタント飛行を行ったのが、その始まりであるという。以来、空飛ぶサーカスの伝統は軍組織によって守られ、パイロットの士気高揚のため、航空機の可能性と将来性を納税者に示す展示装置としての役割を果たしてきた。日本においても、曲技飛行によって養われるパイロットと機体の閾値を見極める力が緊急時のとっさの対処に結び付くとされ、導入されることとなった。そして最初に正式化されたアクロバットチームが、ブルーインパルスであったのだ。
ブルーインパルスにとって「7」と「4」は、マジックナンバーである。過去二回の墜落事故がいずれも7月4日に起きているのだ。2000年7月4日に三名のパイロットが殉職。その九年前の1991年7月4日にも二名のパイロットが殉職。いずれも宮城県金華山を中心としたエリアにて事故が起こった。そして、さらに遡ること9年前の1982年、今度は7月4日ではなかったが、浜松基地航空祭の際に、一人のパイロットが殉職している。墜ちた機体は174号機。T-2型機の74番目の機体であった。
浜松基地航空祭の惨事は、大観衆と報道陣のなかで一部始終が目撃されるという異常性もあり、最も注目を浴びた事故である。ブルーインパルスの六機は、終盤の曲技科目、「下向き空中開花」の最中での出来事であった。「下向き空中開花」とは、空中で宙返りをおこない、頂点をすぎて全機が真下を向いた時点で編隊長の号令にしたがい、それぞれ六方向に開花(ブレイク)するというもの。ここで難しいのが、編隊長機の真後ろに付ける四番機である。二、三番機はそれぞれ左右へ三十度、五、六番機も左右へやや後方百三十五度にひねるが、四番機だけは真後ろの百八十度反方位へ向き直らなければならないのである。墜落したのは、その四番機であった。
事後調査で明らかになったのは、最大の要因は編隊長のブレイク指示の遅れにあったということだ。通常より約三秒遅れ、墜落を生還かの分岐点からは、わずか0.9秒遅れという際どさであった。そして、さらに明らかになった衝撃の事実は、四番機のパイロットにも過失の可能性があるというものである。事前にサインした「思想統一事項」という書類を元に、危険を感じたとすれば、ブレイクするべきではなかったという解釈が生じてしまったのだ。
ここで取り沙汰されている問題は、奥が深い。つまり、事故になったからといって、その指令に忠実に従った部下に過失を問えるのかということである。隊長の命令に従う規律と、命にかかわることは自分で判断すべきという裁量。突きつけられているのは、二つの矛盾した要求である。ここには自衛隊という存在そのものが持つ、曖昧さも潜んでおり、この問題の本質を見事に浮かび上がらせている。
著者は、当時の関係者が定年退職するまで26年間取材を自重し、2008年から一気呵成に取材を展開し、本書を書き上げたそうである。これまでに著者の作品は、何冊か読んだことがあり、スポーツライターとばかり思っていたが、元は航空専門誌記者であったそうだ。鬼気迫る取材量と、鮮やかな情景描写。一気に引き込まれる力作である。
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