【書評】『刑務所図書館の人びと』:塀の中のパブリック
本書の著者は、ユダヤ教徒の家庭に生まれ、ハーバード大学を卒業、卒業後は図書館の司書として就職。このような経歴を聞くと、聖人君子のようなスーパーエリートを想像するかもしれない。しかし彼が勤めているのは、ただの図書館ではなく、ボストン刑務所の中の図書館である。刑務所と図書館、なんというコントラストだろうか。本書は、そんな刑務所図書館のリアルでユーモラスな日常を綴った一冊。
◆本書の目次
第一部 届かなかったもの
第一章 マジな話
第二章 本は郵便箱ではない第二部 届いたもの
第三章 タンポポのポレンタ
第四章 届いたもの
刑務所の図書館は、その存在からして矛盾をはらむものである。事実、著者の勤務する図書館には以下のような貼り紙がしてあったそうだ。「刑務所の図書館を利用しよう。あなたの子どもが利用しなくてすむために」。
そんな刑務所図書館でのエピソードの数々に、冒頭から魅せられる。一般的に、図書館で働く図書係の中には、受刑者たちも含まれる。そこで各自が果たす役割には、犯した罪と通じるところがあったそうだ。経営者や犯罪組織のボスはカウンター業務を取り仕切り、詐欺師は小さな法律事務所を切りまわし、社交的なドラッグ常用者は定位置を持たずにあちこち走り回ってなんでもこなすといった様子である。
刑務所図書館の役割には、二つの側面があるという。表向きは、知のアーカイヴというGoogleのような役割である。しかし実態としての裏の顔つきは、まるでFacebookのようだ。美術書や百科事典の中には、「凧(カイト)」と呼ばれるメモや手紙が挟まっている。その内容は、法律関係の書類、「娯楽売ります」というチラシ、祈りの言葉、ラブレターから痴話喧嘩など、囚人同士のさまざまなやり取りである。どのような状況においても、人はコミュニケーションを求めるものなのである。
著者はそこでの業務に慣れるにつれ、次第に自分自身の置かれた状況に苛まれるようになっていく。看守でもなく、受刑者でもない立場、それでもパブリックな存在としての役割を果たしていかなければならない。その微妙な立ち位置が、著者を苦しめるのである。
やがて著者は、「凧(カイト)」をはじめする文章や、受刑者の思い出の品などをコレクションするための保管庫を作ることに活路を見出そうとする。忘却の彼方に消えてしまうかもしれない非公式なものにも、居場所を与えたいという気持からである。その行為の行く末は定かではないが、本書をもって幾ばくかその役割を果たすことが出来たのではないだろうか。
本書の見どころの一つに、図書館の模様をレポートする観察者のような立場から、何かを実行する主体へと成長していく、著者自身の大きな変貌というものが挙げられる。特に後半は、読者のためというより、自分自身のために書かれた側面もあるような気がする。それゆえ、若干冗長に流れるところもあるのだが、その部分も、いつの日か、どこかの場所で、誰かにとっては、運命を変えるような役割を果たす可能性がある。それが、アーカイヴの持つ存在意義でもあるだろう。
いずれにしても、自分自身が利用者として接することのない世界であることを、切に願いたい。
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