【書評】『思考する豚』:人間と豚の愛憎
「この、ブタ野郎!」などという時には、当然相手を蔑んでいるケースが多い。豚を用いる慣用句の多くは、大食いと官能を表している。泥の中で転げ回り、飽くことなき怠惰、我がまま、肉欲、食欲を顕にして悔いることがない。そんなイメージが前提条件となっている。
しかし、われわれは豚について、どれほどのことを知っているのだろうか?研究の世界においても、古くから豚は軽んじられてきたという。世界中の野生豚を追跡している人間の数を合わせても、ニホンザルを実地調査している生物学者の数にかなわないそうだ。豚の不運は、彼ら自身の問題というよりは、捉えられ方に問題が潜んでいるのである。
本書は、そんな豚の「文化」や「知性」について語った一冊。中東地域では厳格にタブー視されながら、片や太平洋地域の大部分では厳格に崇敬の念を抱かれている不思議な存在の豚、その真の姿に迫っている。
◆本書の目次
序章 なぜ、人間の関心を引くか
第1章 そんな豚がいたのか!
第2章 苛烈な生存競争
第3章 豚は遊ぶ
第4章 家畜豚の誕生
第5章 豚たちの爆発
第6章 人間と豚の愛憎
第7章 豚はどれくらい賢いか
ウィンストン・チャーチルはこんな言葉を残している。「猫は人を見下し、犬は人を尊敬する。しかし、豚は自分と同等のものとして人の目を見つめる。」これだけ起源を異にしながら、あまりにもヒトと豚は対等な存在である、それゆえにヒトは豚を直視できないでいるだけなのだ。
豚は不潔だというのが、そもそもの誤解である。周りの環境が著しく制限されている場合でさえ、仲間同士で「屋外トイレ」を設けて、決まった場所でしか排便をしないという。また、意外なことに、豚の身体の大半は筋肉で出来ており、脂肪ではない。
驚くのは、その知性である。豚はものを考える。しかも、仮定の状況を理解して、以前の経験を新たな状況に活かし、環境や仲間との相互作用を行うという。本書でこんな実験が紹介されている。
小さな豚と大きな豚の二匹がいる。小さな豚が実験エリアに放され、餌が隠れている場所を発見する。その後、この餌の在り処を知っている小さな豚を大きな豚と一緒に実験エリアに戻すと、大きな豚は小さな豚の後をつけて餌場をつき止め、餌の横取りという搾取行動に打って出た。しかも、再度同じことを繰り返すと、小さな豚は大きな豚が別のことに気を取られるまで餌場には近づかないという知能的な行動に出て、自分だけがちゃっかり餌にありついたのである。
この実験の意味するところは、大きな豚の行動を、小さな豚が推測し対策を立てた可能性があるということだ。これが正しいなら、豚には心というものが備わっているということになる。そして、それを受け入れるかどうかは人間の問題である。
加えて、豚にはユーモア感覚が備わっている。バカバカしいことに対する感覚が鋭くて、集団になって浮ついた真似をする生来のエンターテイナーでもある。豚はバカを演じることすら可能なのである。表面的に豚を見ていては気付かないことが、たくさん隠されているのである。
と、なぜだか分からないが、ひたすら豚を擁護してみた。豚をよく知らずして「ブタ野郎!」などということは、豚に失礼なのである。ひょっとしたら、豚に飼われているのは、「ヒト野郎!」の方かもしれない。
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