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【書評】『何かのために sengoku38の告白』:組織の論理、個人の主張

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著者: 一色正春
朝日新聞出版 / 単行本 / 216ページ / 2011-02-18
ISBN/EAN: 9784023309203

尖閣諸島における中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突ビデオを投稿した元・海上保安官「sengoku38」こと、一色正春氏による告白手記である。
尖閣諸島問題の話題がやや下火になったこのタイミングでの出版に、問題を風化させたくないという著者の執念を感じる。

◆本書の目次
これ、わしがやったんや
中途採用で海上保安官になった
そもそも尖閣諸島とは
事件の始まりの事件
中国人船長逮捕
東シナ海ガス田の濁った海面
私が尖閣ビデオを目にした日
世界に対して面子を失った日本
侵略を開始した中国
なぜビデオが国家機密なのか
私がやらねば
ビデオ公開前夜
11月4日、実行
ビデオ公開翌日
私が行った罪証隠滅行為
私がやりました
取り調べは続く
海上保安庁から脱出
考えるということ
ハンドルネームの意味は・・・
海上保安官人生が終わった
公開の意味
終結
モノローグ形式で語られる出来事の真相は、非常に理路整然としており、日本のジュリアン・アサンジのようなキャラクターを期待すると肩透かしをくらう。しかし、その普通さが物語るのは、組織の中で普通に生きるということが、いかに難しいかということでもある。そういった意味において、本書は著者が身を呈して投げかけた組織論とも言える。

著者が主張しているのは、機密漏洩と称されたビデオが、はたして本当に国家機密なのかどうかである。その個人の問いかけに対し、組織からの回答は非常に曖昧で、責任の所在も不明瞭な様子として描かれている。そもそも、現場の最前線にいる保安官に、「発砲した後に撃った弾を戻せというような命令が発せられると考えている人間と、撃てば英雄になれると考えている人間では、結果はおのずと見えてくるであろう。」と思われるようでは、日本は、本当に「組織の体」をなしているのかという疑念を感じずにはいられない。組織の原理や定型に潜む危うさは、時に無知を上回るものなのである。

与えられた命題を突き詰めると、「組織の命令が明らかに間違えていると思ったとき、個人はどう振る舞うべきなのか」というところに行きつく。簡単には答の出る問題ではないし、自分に置き換えても、その時になってみないと分からない。しかし、その時が訪れてしまった著者の体験は、広く共有され、深く議論されるべきものであるだろう。

ちなみに、著者は本書でハンドルネーム「sengoku38」の意味を、最後まで明らかにしていない。次の一手を用意しているということなのだろうか。刮目して見ていきたい。


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