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【書評】『黒壇』:アフリカの貧しさの中に、己の貧しさを見る

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著者: リシャルト・カプシチンスキ
河出書房新社 / 単行本 / 404ページ / 2010-08-11
ISBN/EAN: 9784309709666

ポーランド出身の世界的ジャーナリスト、リシャルト・カプシチンスキ氏による壮大なアフリカのルポルタージュ。二十九章に及ぶ短編の一つ一つは、それぞれが完結したエピソードになっており、その卓越した観察と、美しい描写は「ルポルタージュの皇帝」の名に恥じないものである。また、いくつものルポの中から全体像を浮かび上がらせ、本質を鮮やかに描き出す手法は、「文学的コラージュ」とも呼ばれており、本作においても圧巻の完成度を誇る。

著者は、第三世界の取材を好み、それを自身の使命と感じていたそうだ。何度となく大病に見舞われながらも、精力的に現地へかけつかた胸のうちには、貧者、弱者といった光の当たる場所から閉め出された人の声を届けたいという強い思いがあったという。その思いは、ルポを生み出す著者の目線にも顕著に表れている。一切の既成概念を取っ払い、己の傾聴、観察のみに忠実であったその目線は、著者自身が好んで使った「文化の翻訳」という概念に結実している。おそらく彼は、アフリカの貧しさの中に、自分たちの心の貧しさを見ていたに違いない。

◆本書で紹介されている「文化の翻訳」
・時間の観念
アフリカのある村で集会が開かれると聞き、その場所に行ったが、人っ子ひとりいない。「集会はいつですか」と聞くと「みんなが集まったときですよ」と回答が返ってくる。彼らにとって時間とは、緩やかで、オープンで、弾力性のある、主観的なカテゴリーである。一方で、ヨーロッパ人にとって時間とは、絶対的で、真実で、いかなる客体とも無関係なニュートン流なのである。すなわち時間の奴隷であり、時間に従属し、時間の家来なのである。

・神聖なる象
その昔、ポルトガル人がやってきて象牙の買い付けを始めたとき、死んだ象を見つけて取るから、象の墓を教えてくれと言った。しかし、アフリカ人は決してそれを教えずに秘密にしてきた。象は自分で死期を悟ると、沼や池に自ら入っていき、永遠に水底へと消える。アフリカ人にとって象は神聖な生き物なのである。

・批判能力
ヨーロッパの文化が他の文化と違うのは批判能力、なかでも自己を批判的に見る能力があるというところだ。対して、他の文化では、自己を美化し、自分たちのものはなにもかもすばらしいと考える傾向がある。アフリカもまた、不可侵の無批判性を持つのか?アフリカ人はそれを考え始めている。なぜ大陸対抗レースでビリを走っているのかの答えを求めて。

・多様性
 ヨーロッパの植民地主義者がアフリカを分割した、と一般に言われている。しかしアフリカ側の視点でモノを見ると逆になる。「分割?あれは兵火と殺戮によって行われた野蛮な統合だ。数万あったものがたったの五十に減らされたのだから」。アフリカの本質とは無限の多様性なのである。
なお、本書の素晴らしさを語るにあたって、翻訳のレベルの高さに触れないわけにはいかない。「文化の翻訳」を、さらに言語で翻訳しているにもかかわらず、全く臨場感を損なっておらず、文字が目に染み込むように入ってくる。本書の完成度に翻訳者の方の知識、技量が大きく寄与していることは疑いの余地がない。

エジプトやチュニジアに始まった情報革命の波は、やがてアフリカ全域に広がり、アフリカ社会の均質化を産むことにつながっていくかもしれない。そこに何とも言えぬ寂しさを感じ、アフリカの多様性をいつまでも保持してほしいと思うのは、西欧的で傲慢な視点なのであろうか。

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