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【書評】『黒船前夜』:北方の三国志

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著者: 渡辺 京二
洋泉社 / 単行本 / 353ページ / 2010-02-02
ISBN/EAN: 9784862485069
 
黒船襲来と言えば、1853年のペリー来航を思い浮かべる人は多いだろう。しかし、そこから時を遡ること50年以上前、鎖国をしていた日本に対して、ロシアが開国への扉を開こうとしていたことは、あまり知られていない。
北海道を中心に世界地図を見てみると、日本とロシアがいかに近い国であるかということに驚かされる。ロシアに日本語学校が設立されたのは1705年。300年以上もの歴史を持つのである。また、はからずも遭難し、ロシアに漂着してしまった日本人も多かったという。ちなみに、日本人初のユーラシア大陸の横断は1702年に、大阪の伝兵衛という商人によってなされている。本書はロシア・アイヌ・日本が蝦夷地(現在の北海道)をめぐって繰り広げた北方三国史である。
 
◆近世におけるロシアと日本の主な接触
1702年 大坂の商人、伝兵衛:遭難によりロシアに到着
1705年 サンクトベテルブルクに日本語学校開校
1729年 薩摩の宗蔵と権蔵:カムチャツカ南端に漂着
1739年 シュパンベルク:仙台沖合で日本本土視認、日本探索が目的
1771年 ベニュフスキー:土佐国、阿波国に接岸 暴風による漂着
1776年 シャバリン:択捉の北岸に上陸、ニコライ号大破の救助が目的
1792年 ラクスマン:根室に来航 遣日大使として通商が目的
1804年 レザノフ:長崎に来航、特使として通商が目的
なぜ、ペリー来航のときに開けられた扉が、ロシアには開けることができなかったのか。理由は二つある。
 
一つは、アイヌという民族の存在である。双方の国と交易をおこなっていた彼らは、時には通訳として、時にはガイド役として、間接的に両国の仲介役を担っていたのである。そして、日露双方はアイヌを巡って、いかに取り込むかという駆け引きを行っていたともいう。たびたび民族的蜂起もあったとはいえ、和人とアイヌが大自然に混じりあって共生している有様は、実に牧歌的な原風景でもある。
 
もう一つは、近代以前の近世という時代において、国家という意識が十分に形成されていなかったということがある。時を追うにつれ、国家という意識の萌芽が生まれつつあるも、幕府や藩には、版図拡大という衝動が、決定的に欠けている。一方、当時のヨーロッパでは、フランス革命という砲煙の中からナポレオンが雄姿を現そうとしていた。そのため、ロシア側においても、東方への充分な関心を維持する余裕はなかった。日本とロシア、双方が国家という枠組みで、互いの維新をかけなかったからこそ、隣人への愛が存在したのである。
 
信義を重んずる民族であったアイヌには、「ツグナイ」という風習があったそうである。日本語とほとんど同じ意味をもつこの風習は、紛争が生じた場合、弁論または武闘の結果、非があると認めた方が、所持する宝を差し出す行為のことを指したという。殺人のような場合ですら、ツグナイで和解が成立したそうである。この重要な社会的慣行に日本語が借用されているという事実は、非常に興味深い。そして、そのアイヌも、国家を指向しなかったがゆえに、やがて衰亡の道を辿っていく。なんとも皮肉な運命である。

一向に解決の兆しが見えない、北方領土問題。今の状況を当時のアイヌ人が見たら、どう思うのだろうか。「ツグナイ」どころでは、済まないかもしれない。
 
 
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