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「私の人生を返してください」 一卵性母娘と言われて

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お子さんのお受験で一生懸命になっているお母さんたちを見ると、熱心で素晴らしいと思う反面、「ほどほどにね・・・」と心の声をかけてしまいます。
 
特に音大お受験のお母さんは、子供がまだ言葉もあまりしゃべれないような時期から教育につきっきり、というケースが多く、親子の絆は生半可なものではありません。
ピアノは、子供の頃にどれだけのレベルまで到達しておくかというのが後々大きな差となります。どうしてもお母さんの力が必要になってしまうのです。
 
私の母親も、私がレッスンに通うようになると、先生から「必ずつきそってください」と言われました。北海道の田舎から出てきた母は、同門のお母さんたちのハイレベルでエレガントな教育熱心さに圧倒され、劣等感を抱いていたと後々言っています。
 
大抵は、ご自分もピアノをやっていた方が多く、子供とは別に自分用の楽譜を持って来て、先生のおっしゃるご指示を細かくチェックし、ジョークや世間話まで書き込み、帰ったら一緒に復習するのは当たり前。レッスンが終わると、「クロマティックでのペダルの踏み方が難しくて・・・」と、すごいご質問をなさる。どちらがレッスンを受けているのか分からなくなるほどです。
 
私の母は、譜面を持っても良く分からないので、ノートに先生の言葉をそのまま記録してくれていました。後で私に見せて「自分で譜面に書きなさい」と言います。しかしそのノートは、所々に先生の怒った顔の似顔絵や、かわいいコックさんなどの落書きがあり、今思えば退屈してたのかもしれません。申し訳なかったかなとも思います。
 
私の知人で「一卵性母娘(いちらんせいおやこ)」とうわさされるほどの親子がいました。
 
何があっても常に一緒。
大人になっても仲良く手をつないでいる姿は有名でした。
子供用のレッスンカバンとご自分用のカバンと両方を持ち、お嬢さんはいつも手ぶらで移動。稽古で手を使いすぎるので、疲れをためないように持っているのです。
 
あるとき、その方のお嬢さんが学校で顔に怪我をしてしまいました。「お風呂で顔を洗ったときに、ハッと気がついたら無意識に娘が怪我したところを避けて洗っていたのよ。」と話しておられたのを聞いて、その愛の深さに恐れさえ抱いたのを覚えています。
 
このケースは一人っ子だったため、お母さんを独り占めできたから良かったとも思えます。
 
あるピアノの知り合いは、妹さんが東大からハーバード大学に留学したときに、親御さんの興味が妹さんのほうに行ってしまいました。
深く傷ついた彼女は追い詰められ、精神のバランスを崩してしまったのです。
 
お母様は、美しく才能あるお姉さんに大変な期待をしておられたのだと思います。しかし、音楽というのは時間を経てよくなってくるもので、若いうちに全てを判断できるものではありません。幼い頃から高額なレッスン費や楽器に投資し、一生懸命音楽の教育を施しても、「親が期待しているように」は、なかなか形として現れないことのほうがほとんどです。子供も知らず知らずのうち親に依存するようになります。一番頼りにし、味方になってもらいたい親に「この子は才能がなかった」と言われることの厳しさ。人生を否定されたように感じてしまうのは仕方のないことかもしれません。今はピアノを弾くことさえない彼女の「私の人生を返して」という心の叫びが聞こえてくるような気がします。
 
私の場合は、男兄弟も他に二人いましたので、物理的に一人にかかりっきりになる時間もなかったと思います。親なりに期待はしていたと思いますし、きついことも言われましたが、おかげでプレッシャーになって辞めるほどではありませんでした。当時、自分たちなりに親子で高い目標に向かって努力したという経験は今でも私の原点になっています。
 
愛情からくる思い入れもあると思いますし、難しいかもしれませんが、『子供に対する過度な親の自己限定』は不幸な結果を招くこともあります。
自己限定せずに心をオープンにしていれば、素晴らしい人生を生きる道に導かれるのだ信じています。あなたの音楽を必要としている人が必ずどこかにいるよ、と伝えたいです。

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